みぎに つきすすむ 。右翼の経典 右突経( みぎに・右突き)

●右翼民族主義の整合性 一貫性 因果性を揃え右翼を貫く●民族の独立生存を最上位にし全異民族の侵蝕阻止、侵入異民族排斥●帰化侵入を行う日本国籍異民族排斥●国際世界市民主義の左翼・保守 国家主義 人種差別主義 伝統主義 皇室中心主義 皇道主義 国粋主義 平和主義を打倒●親米親朝鮮シナ親白人親黒人等異民族に親しむ 受け入れる左翼を粛清

【 モンゴル帝国時代の馬の絵から想像 】

≪ 現在と過去の馬の形が違う ≫

 近代以前のモンゴル人・トルコ人フビライ等が乗っている馬の絵がある。その馬は顔がでかく、首胴体が太い現在のモンゴル人が飼っている馬とは体形が違う。アハルテケに似ている。アハルテケは馬の中でも顔が小さいとの特徴があり、絵の馬は顔が小さい。モンゴル人は近世以前は体高144~163cmのアハルテケ等に騎乗していたのかとも思う。アハルテケはトルコ人の一派トルクメン人の領域トルクメニスタンが原産でモンゴル・トルコ諸族の領域。モンゴル高原が本拠地のモンゴル人からすれば近い。

 紀元前からシナ人はモンゴル人・トルコ人等の北方遊牧民と争う。匈奴と戦うシナ騎兵の馬は貧弱で非力で騎馬に向かない。北方騎馬民族には対抗できない。匈奴との戦いでシナ人は匈奴に対抗する為に良馬を手に入れる必要が出てきた。前漢武帝はフェルガナに名馬がいるのを知り、遠征軍を送り込み武力で良馬・汗血馬を手に入れた。大量に増やしたという。フェルガナは現在のウズベクスタン東部。過去と現在の区別を付けず、現在を基準に過去を当て嵌めるのがいるが、当時ウズベクスタンなどと言う国家はない。住んでいた民族も同じとは限らない。匈奴が乗っていた馬もモンゴル馬などではなく、他の中型大型の馬かもしれない。

 現在と過去も多少は違うかもしれないがこの地は降水量が少ない。この中央アジアは農業が可能な土地はあるものの、水が豊富にあるわけではない。乾燥した砂漠や草原が大部分。そこに騎馬向きの良馬を生産していた。その馬である汗血馬はアハルテケではないかとされている。匈奴の乗っていた馬はこのアハルテケかもしれない。

 アハルテケはトルクメニスタン原産とされている。トルクメニスタン中央アジアであり、その気候に含まれる。一部農耕ができる程の水があるが、大部分は乾燥した砂漠や草原。その地域でも中型・大型の馬を飼育できたという事。アハルテケはこの過酷な乾燥した地に適応し、餌・水が少なくても生きていけるという。乾燥した過酷な中央アジアで生きられる丈夫な馬。サラブレットとの混血種・雑種は純血アハルテケよりも弱く、水が少ない、乾燥した中央アジアに適応できず死んだという。これは中央アジア遊牧民トルクメン人が改良育成したという。トルコ人の一派が古代から改良したのだろう。それをトルコ人の一派であるトルクメン人が引き継いだとも考えられるし、イラン人の一派が改良しトルクメン人が引き継いだとも考えられるし、それ以外の民族かもしれない。この地は民族の入れ替わりが頻繁に発生したので単純には考えられない。日本列島に来る前の日本人も出アフリカ後この地に住み、変異により黄色人種となった。インディアン諸族に多いY染色体Qはこの地が起源ではともされている。

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≪ 現在を基準に過去を決めつける ≫

 モンゴル馬とサラブレッドを比べているのがあった。改良し大型化すると餌が大量に必要になるので大型化はせず、チンギスハーンは現在モンゴル高原で飼われているモンゴル馬を使い、世界征服をしたという。

 過酷な環境・水・食料となる主に草が少ない乾燥地帯に強い馬・アハルテケの事や、モンゴル・トルコ騎兵の絵や騎乗するフビライの絵に描かれている馬がモンゴル馬体型ではないのを見た事があれば、モンゴル騎兵が現在モンゴル高原で飼われているモンゴル馬に乗っていたかは不明。紀元前よりモンゴル人等の中央アジア周辺のモンゴルトルコ系民族が騎乗を始めてからモンゴル馬を飼い続け、乗り続けてきたのかは不明。粗食に耐え、悪条件、特に水が少ない乾燥した環境に耐え、生き延びられる頑丈なアハルテケが過酷な乾燥地帯中央アジアで飼われている事からアハルテケを飼っていたとも考えられる。 

 アラブ馬も水と草が少ない乾燥したアラビア半島で生まれ、ヨーロッパよりも過酷な自然で生きるアラブ人に飼われた馬で、この過酷な乾燥地帯でも生きられる丈夫な馬。人の歴史・馬からすれば最近・近代に生まれたサラブレッドに中世白人の騎士は乗っていない。重い鎧を着た人を乗せていたのはずんぐり、胴体脚が太い木曽馬・ペルシュロン等のような体形の馬に乗っていた。中世サラブレッドに乗り、重たい鎧を着て、ランスを持ち突撃する白豚騎士は存在しない。サラブレッドは筋肉質の重たい人が乗り走ると足が折れやすいという。チビ、貧弱、がりを乗せて早く走れる馬がサラブレッド。

 ポーランドの強力な騎馬隊フサリアは体高150cm程のアラブ馬に好んで乗っていたという。ポーランド人は北方遊牧民騎馬民族モンゴル・トルコとの戦いを経験し、それを受け継ぎフサリアが生まれた。アラブ馬に乗るフサリアは大軍・強敵と対決した。鎧を着た重たい人が騎乗するアラブ馬は騎馬突撃で大軍のロシア軍等を粉砕した。体高160~170cmない150cm前後の馬でも問題ないのだろう。近代に生まれ、ちび貧弱を乗せて早く走れるサラブレッドと比べて150cm前後が小さいと言うだけでしかない。

 現在のモンゴル馬をチンギスハーンが乗っていたかはよくわからない。体高130cm程の馬に乗っていいたかもしれないし、当時は今と違いモンゴル人はアハルテケ等に乗っていたかもしれない。モンゴル馬でも餌や環境により体格が変わり、150cm程あったかもしれない。モンゴル馬・アハルテケ等何種類かを飼い、乗っていたかもしれない。

 モンゴル騎兵と戦ったヨーロッパの記録では貧弱な馬と記してあるのでモンゴル馬かもしれない。モンゴル馬は貧弱というほどひどくないから別の貧弱な馬かもしれない。重装騎兵が乗る大型のヨーロッパ産の馬と比べて貧弱としているとも考えられる。当時サラブレッドは生まれておらず、白豚重装騎兵は体高160~170cmの足が太く、ずんぐりとしたヘビー級体形のペルシュロンに乗っていたらしい。これに比べれば、現在130cmのモンゴル馬だけでなく、140~160cmのアハルテケ、強力な騎兵フサリアが乗っていた150cmのアラブ馬でさえ体格で劣る事になる。身長220cmからすれば190cmでも低い、劣るのと同じ。

 中世末スウェーデンの騎兵は体高120cm程度の馬に乗っていたという。このスウェーデンの騎兵は当時ヨーロッパにおいて有数の強力な騎馬隊。ポーランドの強力な騎兵フサリアとも対決している。当時ヨーロッパ白人の身長は140~160cm程。高くて170cm近く。白豚の体格が良くなったのは戦後。モンゴル人はモンゴル帝国時代のモンゴル人が使用していた鎧からすると170cm前後あったかもしれない。身長140cmから150cm台ならば体高120cmの馬が合う。

 体高の高いペルシュロンに白豚騎兵が乗っていた、とされているが、実際はそれより小さく体高120~140cm、150cm程かもしれない。小型・中型・大型説がある。有力な説では150cm程と言う。南部馬とほぼ同じ。ヨーロッパ産馬を大きくしたがるのは立派な体格の馬に乗る立派な体格のヨーロッパ白人、との妄想を見させる為の印象操作かもしれない。ちんちくりんのみすぼらしい馬・ポニーに乗るちび貧弱ガリ、ずんぐりのヨーロッパ白人だと白人に高印象を抱き、憧れない。印象に蝕まれる間抜けな有色人種が憧れない。白人はかっこよく、立派で、大きく、高く、たくましく、強くなければ、有色人種に劣等感を抱かせられない。中世から使われているとされている品種の馬も現在と違い体格が劣るかもしれない。

 モンゴル騎兵にも重装槍騎兵がいる。テレビ番組で相撲界から消える前に朝青龍がモンゴルに帰り、現在のモンゴル馬に乗って走っていたのを見た事がある。モンゴル馬は重たい人間が乗っても問題なく走れる馬なのかもしれない。ヨーロッパ産の馬の常識があて嵌らない能力が先天的に備わっている馬なのかもしれない。木曽馬は体高130cm程でも力が強く、山岳地帯・特に斜面を登る能力がサラブレッドよりも高く、蹄が硬く藁の馬沓を履かせれば良く蹄鉄がいらないという。ヨーロッパ産の馬は体格の影響を強く受けるが、モンゴル馬・木曽馬等アジア馬はヨーロッパ産の馬とは違うのかもしれない。明治時代、軍馬育成は白人の影響を受け、体高や体重により運べる重量が違うとの事で大型化を求めたが、アジア馬は体高が低い割には力が強いのかもしれない。

 モンゴル人は何度か飼う馬の種が変更しているかもしれない。チンギスハンが乗っていた馬とヨーロッパ遠征に使われた馬が同じとは限らない。近代に入り、何かの要因でモンゴル人が飼う馬が完全に入れ替わった事も想像できる。しかし、現在のモンゴル人が飼い、乗る馬を基準に過去を決めつけたよう。モンゴル人が大型に改良しない等の資料は何か。そんな資料があるのか。

 日本も現在の騎馬に向かない体形をした走るのが遅い木曽馬を基準に江戸時代以前を決めつけるのがいる。絶滅した騎馬に向く体高150cm程の南部馬を知らない。胴体・首が太く、顔がでかすぎの走りにくそうな体形・駄馬型の体形の木曽馬には全く体形が違う騎馬型がいた可能性を想像しない。農耕馬型の体形が悪い駄馬型木曽馬が生き残り、騎馬型木曽馬は絶滅したとは想像しない。元寇で敵は日本側の騎兵は結束すると騎馬隊の記述があるにもかかわらず、日本に騎馬隊は存在しない、在来馬は小さすぎ、力が弱く、走るのが遅く、騎馬に向かないと言い張る。騎馬で走り、弓を射る、弓騎兵の絵があるが弓騎兵・弓騎兵の騎馬隊の存在を否定。騎馬で戦闘はせず、馬から降りて戦闘したと言う。現在絶滅せず生き残った騎馬に向かない体形をした体高130cm程の在来馬と違い、平安~室町初期までの軍馬は中型・大型だったのではないかと想像しない。

 中央アジア遊牧民が改良した結果とされるアハルテケは小型ではないが、生物にとって過酷な乾燥した土地、少ない水・餌でも耐えられる丈夫な馬だという。餌、穀類を大量に与えなければ体格が貧弱になる、走れないヨーロッパ産の馬を基準に当て嵌めるのは間違いだが、ヨーロッパ産の馬を基準にしている。アハルテケはヨーロッパ産の馬と全く違い、ヨーロッパ産の馬の常識が通用しない。

 一部の中央アジア黄色人種遊牧民は馬を改良していた。乾燥した中央アジアでも中型の馬を生産し飼っていた。中型でも乾燥したこの地、少ない水・餌でも耐えられる丈夫な馬がいた。ヨーロッパ白人が作り出した馬とは全く違う常識はずれな馬がいた。これを踏まえた場合、体高130cm程でも常識はずれな体力が先天的に備わった馬がいたが、絶滅した可能性も考えられる。中型、大型での水、餌が少ない過酷な環境に耐えられる、適応した馬がいた可能性も考えられる。文字等の記録を残す文化が強くない遊牧民であるから、不明な事が多い。

 

 

 

敵を狩り、生き残る。侵入異民族・侵蝕異民族を天誅し生き残る。日本大好き親米愛国保守・ネトウヨ等の左翼を粛清し、民族の独立・生存・勝利・繁栄の道を切り開く。異物・異質・異形・異端・異種・異民族が消えた清らかな、浄化された日本領を八百万の神々・祖先・戦死者・子孫・民族に捧げる。

 

粛清の炎を燃え上がらせる。攘夷の炎を燃え上がらせる。消えてしまうような小さな火が、油を加え、薪を加え、風に吹かれ、大きな炎となり、異質・異端・異物・外道・邪道・異種・異民族と日本大好き親米愛国保守などの左翼共を焼き尽くす。

 

伊弉諾の子孫が住み、生きる為に、大いなる父・伊弉諾より与えられた伊弉諾領域・日本領域を神聖なる炎で浄める。

 

伊弉諾の後を継ぎ、戦う右翼は一所懸命後始末を行う。