みぎに つきすすむ ( みぎに・みぎつきすす)

●右翼民族主義の整合性 一貫性 因果性を揃え右翼を貫く●民族の独立生存を最上位にし全異民族の侵蝕阻止、侵入異民族排斥●帰化侵入を行う日本国籍異民族排斥●国際世界市民主義の左翼・保守 国家主義 人種差別主義 伝統主義 皇室中心主義 皇道主義 国粋主義 平和主義を打倒●親米親朝鮮シナ親白人親黒人等異民族に親しむ 受け入れる左翼を粛清

【 一部分の好意が全体に広がり、精神の独立を失う 】

 

 わたしはそばを好むが、そばにはない、もっちりしたうどんも良いと思う。と言いつつ、短時間で茹で上がるそうめんを常備し、米代わりに良く食べる。ペンネ・スパゲッティもよく食べるがイタ公など叩き潰してやりたいと考えている。日本から消すべきとしている。イタリア料理をただの料理と見なし、食べているだけで、異民族・イタ公を受け入れる事は絶対にしない。食べればければ、食べれないでも何も問題ない。イタリア料理を食べられなくても、人・私が戦い、考え、生きていくことの害はないと考えられる。

 日本だと少し高くなる、ドイツ料理を私は好む。アイスバイン・ソーセージを好む。とはいえ、自分は親独・親ナチスではなく、白人人種差別主義ナチスを敵視している。歴史を忘却せず、受け継ぐ右翼であるから、白人と言う事だけで敵視・排斥対象にする。過去・現在・未来の一連のものとし、つなげて考え、それぞれ切り離さない。

 保守・愛国・右翼・極右・民族派民族主義・人種差別主義・排外主義を自称する馬鹿日本人の中にはナチスに憧れ、あやかり、好むのがいる。“ドイツ料理を好む”・“右翼”・“民族主義”・“排外主義”繋がりで、わたしが親ナチス・親独でドイツ料理を好むかと言うと、それとは全く関係なく、ただの料理として好む。私はドイツ料理をただの料理としてしか見ておらず、食べる。しかし、“異”・“他”に憧れ、あやかり、猿真似する感情・感覚・印象に振り回される他律の女々しい、軟弱な者にはドイツ料理を好む、とのことで、ナチスやドイツ人に憧れ、あやかる為にドイツ料理を食べている、と私情で繋げ、女々しい・軟弱な自己の基準を他者に当て嵌め、親独・親ナチスと決めつけるのもいるとも考える。

 私は白人であるドイツに好意はない。日本に侵蝕した場合、ドイツ人を容赦なく、叩き潰す。反白人・反ナチスで、白人・ナチス天誅を加えたいとも考えている。ナチスは消え、天誅できないので、ネオナチに天誅。少ないが、この親ナチス、との反日本人もなぜかいる異常な左翼国家日本国。

 右翼は自民族の“独立”・“自律”に拘る。異民族に侵入され、支配され、蹂躙され、従属させられるのを阻止する為に力の限り戦う右翼。ドイツ料理を好み、おいしく食べながらナチス・白人・ドイツ人をためらいもなく、殺戮する事は何も問題ない。こんなものたかが料理。体を動かす栄養を取る、生きる為、戦う為に食べるものでしかない。味を踏まえるものでしかない。ドイツ料理を好む、とのことから白人人種差別ナチスや、ドイツを好むと勝手に勘違いするのがいるかもしれないが、右翼は絶対に異民族に好印象を抱かない。異民族の料理が良いとしても、その異民族が良いのではなく、料理そのものが良いのでしかない。その料理が食べられなくなっても、右翼の人生に何も害はないと考えられる。しかし、好き嫌い・印象・感覚に蝕まれる者には一部の良いが、全体・大部分が良いと繋がる事がある。後背効果。

 アメカスのドラマ・映画、南鮮のドラマを右翼の私は見る。しかし、この異民族を好んで見ているのではなく、この異民族を少しでも知る為に見ている。“理解する”為見ている。受け入れる為・好意を持つ為に“理解する”のではなく、効率よく潰す手がかりがあるとして見ている。虚構ではあるが、ドラマ内の登場人物の失敗・敗北も少し参考になる。ドラマなどは虚構ではあるが、すべて脚本家の独善と言うわけにはいかない。アメカスならば、白人が見るもの、南鮮であれば、南鮮人が見るもの、を踏まえ、この視聴者が嫌う者・拒絶反応を示すものは制作できない。虚構とは言え、その民族の基準、好き嫌い、歴史的背景、社会などを踏まえることができる。虚構・荒唐無稽であっても、そこには何か因果がある。それに気づく事で、戦いの勝利につながるかもしれない。

 日本悪・白人美化・黄色人種悪・インディアン悪・アメカスと南鮮美化正当化ドラマであっても冷静右翼には全く効かない。“他”・“異”・“敵”に都合の良い印象を操作する、虚構を植え付ける蝕脳により、アメカス・南鮮が好印象になり、好きになり、好感度が高くなり、好意を持ち、憧れ、あやかり、親しみ、敵意を消し、排斥を止め、日本に受け入れたり、日本人の上位に据えるように歪む事は絶対に右翼にはあり得ない。白人を好んだり、憧れたり、南鮮人は顔が良いと植え付けられる事は絶対に右翼にはあり得ない。自己の好き嫌い・主観・私情で歪む馬鹿な日本大好き親米愛国保守と違い、右翼は“他”・“異”・“敵”に冷淡・冷静に接し、精神的独立状態を保守し、冷徹であり、“他”・“異”・“敵”・外部・よそ者・異民族・左翼による蝕脳が全く効かない。

 “他”・“異”・“敵”を突き放し、近寄れば突き放し、追い出し、土地・精神に侵入されるのを阻み、“他”・“異”・“敵”の束縛をたたっ斬り、自民族を解放することで自己も解放する。“他”・“異”・“敵”に冷淡・冷静にかかわり、冷徹で、独立・自律の右翼とは違いアメカスのドラマ・映画や、南鮮のドラマ・音楽や、白人・黒人の音楽や、異民族の男を好むと、その異民族が好印象になり、好感度が高くなり、繋がる事を求め、あやかり、猿真似し、憧れ、執拗にかかわろうとし、美化・正当化するのがいる。特に思考力がなく、考えず、好き嫌い・気分で動き、物事に冷淡・冷静・冷徹に関われない、馬鹿女や、馬鹿女と同じ行動を示す女々しい軟弱な男、白人に憧れているようなロックでパンクな女々しい男、最近急速に侵蝕拡大し、ヒトの精神的独立を奪う虚飾業・音楽・芸能・スポーツを好む男、にこの手の連中がいる。

 フランス料理を好み、親フランス人、イタリア料理を好み、親イタリア人、と異民族の料理を好む事で、その異民族に好印象になり、受け入れる、馬鹿日本人の反応を私は見たことがない。しかし、自分が見たことがない、知らないだけでいるかもしれない。独善的決めつけは想像を破壊する。未来に備える準備を怠ることに繋がる。なので、映画・ドラマ・音楽のように、異民族料理を好み、その異民族の立場に立ち、美化・正当化、受け入れるのがいたとした場合、民族でつながる日本が破壊されるので、その異民族料理を好む・良いとする事を排除し、天誅しなければなるまい。その好みは日本破壊する悪の好みとし、日本の異物とする。

 物事に冷淡・冷静・冷徹にかかわれず、ねっとりと粘つき、感情移入し、個人的好き嫌いに基づくのがいる。このような好き嫌いで、有害な異物を喜んで受け入れる、関わる者がいるので、政治的に弾圧・粛清・統制の必要が生まれる。異論排除する因果が生まれる。異民族の映画・ドラマ・料理などを好み、一部好むと全体に好意が拡散し、その異民族に憧れ、あやかり、猿真似し、美化・正当化・受け入れるならば、その映画などを好むとする事に不寛容になり、多様性の一つとして認めず、それが良い、素晴らしいとする異論を叩き潰し、撲滅する必要がある。物事に感覚的にかかわる愚か者が多すぎれば、この異物排除・異論排除は政治的合理性・正当となる。政治・統治を踏まえ、その異論殲滅が正統とならざるを得ない。

 “他”・“異”・“敵”に冷淡・冷静に接し、冷徹・独立・自律した者の育成に成功すれば、異民族の映画・ドラマ・音楽・料理などを良い、好む、素晴らしいとしても、それだけで終り、好意がその異民族に拡散しない。反日本的だったり、異民族を美化正当化する宣伝ドラマなどを見ても、それに侵蝕されない。悪影響を受けない。異民族のドラマ・映画を好んでみようと、良いとしようと、異民族の料理を好み、良いとしても何も問題はない。空虚な文化であるからほっといても何も問題ない。それを好む・良い・素晴らしいとする異論も問題ない。統治を全うする為にその異論撲滅をことさら行う必要はない。問題はないとは考えられるが、時とともに反日本・異民族美化・正当化に繋がれば、容赦なく弾圧・否定。統治集団は常に自他の民族・社会・国家、世界を観察しておかなければならない。民主主義を採用するならば、主権者の民・参政者は統治者の立場に立ち、反日本・異民族美化正当化に蝕脳されている現象に敏感になればければならない。

 民族でつながる日本では、伊弉諾の子孫である日本人の存続に反する事、生物として日本人が排除されている異民族を受け入れる事はすべての“日本人”にとって、排除すべき事でしかない。これは“日本人”すべてに共有される基準。これに反する事は“反日本人行為”で、寛容にならず、多様性の一つして認められない。それは日本人を滅ぼす悪の左翼行動。異民族中心主義・異民族と連帯・団結・協調・受け入れる左翼思想は民族で繋がる伊弉諾日本では異物・邪道。