みぎに つきすすむ ( みぎに・みぎつきすす)

●右翼民族主義の整合性 一貫性 因果性を揃え右翼を貫く●民族の独立生存を最上位にし全異民族の侵蝕阻止、侵入異民族排斥●帰化侵入を行う日本国籍異民族排斥●国際世界市民主義の左翼・保守 国家主義 人種差別主義 伝統主義 皇室中心主義 皇道主義 国粋主義 平和主義を打倒●親米親朝鮮シナ親白人親黒人等異民族に親しむ 受け入れる左翼を粛清

【 不整合な遺伝子 】

素人ながら遺伝子を読み解き、考える。GM遺伝子・Y染色体の表面的な割合だけを見て書いている。これについての専門的知識はない。なので、書いたことは浅くなる。それでも何も考えていないのが多いので、書く。専門的で難しすぎるので論理的ではない。“素人”として気付いたことを書く。科学的とされていることが、操作されていたり、客観・科学を纏いつつ、主観で、意図的に操作されている場合もある。専門的知識のない、素人の想像力・攻撃が、科学を装った疑似科学を粉砕する場合もあるかもしれないとのことで書く。

 

≪ 北方民族縄文人 ≫

 

南方だと思われた縄文人は北方民族だったのが明らかになった。黄色人種は東南アジアから北上と言う過去の間違った仮説は否定され、中央アジアから東に移動し、南下が正しいとされるようになった。北方民族の方が古く、南方民族は新しく発生した、となった。

日本人の移動・他アジアの民族の移動を踏まえた場合GM遺伝子は妥当ではないか。しかし、世界史を踏まえた場合、Y染色体は日本以外にもおかしく整合性が崩れているのがある。朝鮮人華北のシナ人等GM遺伝子とY染色体は互いに矛盾する結果になっているのがある。どちらかが意図して狂わせたのか。科学的とされているものが実は意図して操作されていたことがないとは言えない。そして科学が非科学の場合もある。地球上の多くの民族・特に有色人種に悪影響を与えた白人の人種差別主義・白人優等・有色人種劣等は当時は科学的に合理的とされていた。今では科学的を装った、妄想・疑似科学である。落ちた視力は戻らない、遺伝で身長は決定される、など疑似科学が正されず、植え付けられ、主観的には科学化していることも多い。

日本人はGMでは北方民族。Y染色体で最も多い南方Oの影響が全く出てこない。南北大混血を強調するのがいまだに多いが、GMはこれを否定する。これは容姿が新しく変わる前の古い北方民族の縄文人が南方だと勘違いしていたことから、南北混血説が出てきたが、いまだに訂正できないのがいる。

復元されている縄文人の顔は黄色人種の顔で、アイヌやオーストラロイドの顔ではない。日本人で縄文人そっくりの顔をしているのがいるが、アイヌ・オーストラロイドではなく、黄色人種の顔。タイ人、インドネシア諸族、フィリピン・ベトナム人も縄文顔ではない。インディアン・インディオも縄文顔ではない。特にアマゾン・インディオは東南アジア諸族に似ている。ポリネシア人も縄文顔ではない。縄文人顔だらけの民族はこの人類に存在しているのだろうか。いないのではないか。

縄文顔の民族は存在しないが、多くはないが残っている民族・地域はある。沖縄に縄文顔が少し多くいるが、沖縄は北方民族。南鮮にもこの縄文顔が少ないがいる。どの遺伝子かは不明だが、縄文顔ではない北方顔のブリヤート人縄文人と遺伝子が一致すると言う。しかし、ブリヤート人は縄文顔ではなく、日本人以上の北方顔。Y染色体ではチベット人が日本・アイヌに近くDが多い。そのDが縄文の遺伝子ではないかとされている。しかし、チベット人縄文人と容姿が全く違う。区別を付ければ、日本人より薄い北方顔。

それで、導き出されるのは起源が古い縄文人の遺伝子・血筋は変わらず、環境・気候、特に寒さの影響で、突然変異により、容姿が北方型に変わった。厳しい寒さの満州以北は完全に縄文顔が変わり、消えた。同じく寒さが厳しいチベットでも縄文顔から北方顔に変異した。だから、厳しすぎる寒さはない沖縄・日本・南鮮で変化しなかった縄文顔が少し残った。それでも完全な縄文顔は少なく、微妙に縄文顔に近いといった程度の顔に変わる。縄文人が北方型に変異したのが弥生人ではないのか。骨格が違うから別の民族集団だと単純に考えてしまうだろうが、その可能性はないのだろうか。縄文顔が多数の民族が存在しない事を踏まえれば、変異したとも考えられるのではないか。

縄文人の顔はタイ人・ポリネシア人インドネシア諸族に似ていると言う、これを専門に研究している者がいた。2000年代初期に見たものでは、現在のタイ人などの写真を出し、縄文人に似ているというが、似ていない。強引に南方黄色人種に近い、似ているとしているようだった。縄文人南方黄色人種説を強力に植え付けられ、南方黄色人種につなげようとしているのか。そして、ポリネシア人に似ているとも言うが、現在のポリネシア人は面長で、少し薄い顔をしているのも多い。特にマオリは薄い顔。縄文人とは似ていない。古代ポリネシア人の顔は現在と違い、縦に短い顔だと言う。

縄文人が南方設定の時、弥生人は北方民族だったはずだが、今度は弥生人が南方になる。弥生人の顔はどう見ても、南方黄色人種には見えない。南方民族の長江稲作民族が日本来て、稲作をもたらした。それが弥生人だと言うのがある。それはY染色体では整合性が出るが、GM遺伝子では来なかったとなる。ミャオ・ヤオ・トン等稲作南方民族が華南西部域や、シナ人が黄河中流から侵入する前に華中東部域は日本人が住んでいたはず。黄河中流のシナ人や華南西部から迫るミャオなどに華中日本人は東や北の黄河下流に押し出され、その後日本に移動した可能性もあるだろう。

新羅初期には海を越え、日本列島から日本人が攻めてきたとの記録が大量に新羅にある。反対に新羅朝鮮人は海が苦手らしく、海を越え、日本に攻めた記録はない。ただ弱小勢力で、技術力が低く、生産力が低く、海を越え、異民族の土地に攻撃できなかっただけとも考えられる。これを踏まえると古代日本人は海を気軽に越える航海民族だった可能性がある。

なぜか異民族を中心にしてしまう説を唱える人がいる。自民族中心主義ならぬ、異民族を中心にする“異民族中心主義”の反日本人の左翼思考をするのがいる。事実・歴史・論理を無視し、感覚で異民族中心思考をし、自らの主観でしかない“偏狭”な妄想を仮説でなく、事実とし、決めつけてしまうのがいる。例えば、2016年頃からのさばり始めた古代日本にユダヤ人が侵入を決めつけるもの。日本文化が、ユダヤ文化であるとはっきりしないが、“文化が似ている”事から、飛躍して、なぜかユダヤを主にし、起源に決めつける。日本人にユダヤと思われる遺伝子がないにもかかわらず、ユダヤ人が来た、と決めつける。日本人のY染色体ではユダヤと思われるEやJがほぼ0なのだが・・・。しかし強引にこじつける、決めつける。それとは正反対の古代、日本列島の日本人は真珠を求め、東南アジア・ポリネシアメラネシアに行った、との説を唱える人もいる。ミトコンドリア・女系で、ポリネシア女の遺伝子が日本女の中にある。ポリネシアに渡り、ポリネシア女を連れて帰って来たのが原因かもしれない。

航海民族だったらば、東シナ海を渡り、華中東部・華北東部・華南東部と日本列島を移動している可能性はあるのではないか。航海民族と言うと、ポリネシア人インドネシア諸族と固定観念があるだろうが、この民族はフィリピン南部で南下する為に航海民族化したとの説がある。同系の台湾諸族・多くのフィリピン諸族は航海民族化していない。そして北上・南下化していないと考えられる。特に台湾諸族は航海民族化していないようで、台湾のすぐ北の石垣島などはGMでは完全北方民族。フィリピン南部の集団が航海民族化する前は、日本人がアジア最大の航海民族だったのではないか。

 

≪ 東アジアGM北方でY染色体O諸族の謎 ≫

 

Y染色体の系統図を見て、思い浮かんだことがある。D・C・O・Q等、Aから分岐している。DはCから分岐していない。OはDから分岐していない。“現在の”系統図ではDから分岐しておらず、Dで終わっている。OはCFから大きく分けると5回、細かく分けると8回も変異し、分岐した。新しく発生した集団は必ず古い集団と繋がる。現在はOとDのつながりが明らかではないから、Dにつなげていないだけで、DからOが発生したのではと思ってしまった。あるいは、日本とチベットのOは他のOと違いDにつながるOなのではないか。ただのひらめきではあるが、それを専門家は完全否定できるだろうか。研究・調査した結果このように分岐したのではないか、としか言えないかもしれない。この系統図も完全に正しいわけではない。Y染色体はすこしづつ改訂している。以後大幅に変わる可能性もあるかもしれない。場合によっては覆ることもあるのではないか。現在の設定・決定などをうのみのするのは危険かもしれない。

驚くのが、シナ・東南アジア諸族のOと北アジアのNとインディアンなどのQはヨーロッパ白人に多いRと近い、とのことになっている。そして、少し前に分岐したMSやKなどのオーストラロイドに近い、との事になっている。その他DやCよりもR以外の白人やインドのHに近い事になっている。同じ黄色人種であるが、CとDとは繋がっておらず、非常に離れ、白人諸族・オーストラロイドに近いとは理解できない。そのようなおかしな結果になったとしか言えないのだろうが、おかしい。O・Q・Nは古層の黄色人種C・Dに連なるのではないかと思い浮かぶ。DからOが発生し、CからNとQが発生したのではないかと思いついた。その可能性は“絶対”あり得ないのだろうか。

O・N・Qが白人に近いとすれば、GM遺伝子では白人型を示すのではないかと考えた。GM遺伝子で、N・Q・Oは白人のfb1b3白が全くない。黄色人種の3系統北方型・南方型・南北アメリカ型を示す。Nはどちらかと言うと日本などの北方型に近い。Y染色体では白人に近いとしながら、GM遺伝子では白人に近くない。これもそのような結果になったとしか言えないのだろう。

OはDよりも発生が遅い。オーストロネシア諸族・オーストロアジア諸族・シナ人などのO系統は雲南・貴州・四川・東南アジア北部の山岳地帯などを根拠地にシナ人は北上し、まずは黄河中流域に入る。オーストロネシア人は東に進み、華南東部に入る。その後に続きオーストロアジア諸族が東に進んだと考えられる。オーストロネシア諸族は台湾に入り、南下、フィリピン・インドネシアポリネシアに移動。オーストロアジア諸族は台湾に進まず、南下しインドシナに入る。

新しいOが生まれる前は現在Oが広がる長江流域・黄河流域・華北・華中・華南・台湾・満州朝鮮半島にはDが住んでいたのではないか。満州黄河流域はCの可能性もある。Oの多くはGMでは南方民族の遺伝子。GMで南方型を示す東南アジア諸族はY染色体だと南方のO。GMY染色体ともにこの二つの遺伝子は合致する。それとは違い、O1b2が多く、シナ人と同じO2も多いO系統が多である日本人と満州人・朝鮮人GMではなぜか北方型。日本などの東アジアO諸族はGMY染色体が正反対となる。日本などの東アジアO諸族のそのO系統は南方黄色人種のオーストロネシア諸族のO1aとオーストロアジア諸族のO1b1とシナ人のO2と違い、Dに連なるOなのではないか。つまりOではなくD系統。東アジアO諸族のOはOではなく、D~のD系統に設定すべきだったが、Oに設定してしまった、のではないかと思い浮かぶ。以下日本・満州・朝鮮のOが多数派でありながら、GMでは北方型を示す集団を“東アジア北方O諸族”との表現をする。

長江稲作民とはベトナム・ミャオ・トン・クメール。クメールはヒマラヤの南側に住み、南東に移動したとする伝説があると言う。東アジアに侵入したとされる長江稲作民はベトナム・ミャオ・トンの事らしい。クメールを含めているのもあるかもしれないが、ここではクメールを抜く。この長江稲作民はGMでは南方型ではあるものの、多少北方型が入る。北方の特徴である黄ab3stが微妙に増える。南方の高砂・ハワイ・ミクロネシアでは黄ab3stは全くない。

GMで見る北方と南方の特徴を考える。

北方の特徴。北方と言えども、南方の特徴ともいえる赤が少なからずある。黄が増える。増えるとはいえ、2~4割程度。最も多いのが青5割前後で、次に緑が2~3割。オロチョンのように黄が凄まじく増えているのがあるがこれは珍しい。特殊な変異だろうか。

南方の特徴。ミクロネシア・ハワイなど早くから北方と接触せず、異民族がいないと思われる地域に移動した民族を踏まえると、完全な南方型に黄は全くない。赤が圧倒的に多い。華南・長江流域と東南アジアの南方型は、北方の黄と、古層の青と緑が非常に少なく、赤が圧倒的に多い。黄・緑・青が1~4割以下となる。

東アジアO諸族のGMを読む。日本は北方の特徴である黄が南方と混血していないとするアイヌよりもわずかに多くなる。アイヌよりも南方の赤がやや増えるがなぜか黄が減らず、わずかに増える、多い。赤が増えた代わりに古層の青・緑が少し減る。福建省周辺のシナ人が侵入した歴史があり、今もそのシナ人の子孫とされる日本領沖縄に侵入したシナ人が住む沖縄は、本土よりも赤が減る。台湾に近い石垣などは赤が1割に満たない。黄が4割を超え非常に高くなるが、最高の黄を持つオロチョンより少ない。

GMでは南方黄色人種がスンダランドから北上し、日本に侵入した、も否定される。これは縄文人が北方系ではなく、顔から南方系と決めつけたことによる。数万年もあれば容姿が微妙に変わる、全く別に変わる可能性は想像しづらい。しかし、いまだに紀元前、東南アジアから北上し、日本に“渡来”と言う侵入をしたとの説ではなく、歴史とするのがいる。長江稲作民族が来た、も否定される。日本国籍だが、“異民族アイヌ”を抜き日本人は全体的に北方型を示す。南方と言えば、赤に注目してしまうかもしれないが、赤よりも、青緑黄が多い北方型を示す。南方型だとこれらが極端に減り、4割以下になる。

長江稲作民族が起源前後“渡来”ではなく、日本侵入したとすれば、日本列島住民・日本列島居住民族のGM武漢型や、広州型を示すはず。長江稲作民の日本侵入は大規模で、大量で断続的に行われていたと言うのがいる。だとすると、赤が8から9割になり黄と青緑が2~3割以下になる貴州のミャオやチワンと同じになるはず。あるいは、赤が7割で黄青緑が3割のベトナム型を示すはず。他、クメールに近くなるはず。GMを踏まえた場合、長江稲作民族は来なかったのである。

満州・朝鮮は日本に比べると赤が少し増え、黄は少し減り、緑が少し増える。南方の特徴でもある古層の青・緑が3割以下と減らず、北方の特徴である黄青緑が多数で7~8割となり、多い。赤に注目していると満州・朝鮮は日本に比べれば南方型と見えてしまうかもしれないが、非南方的要素である青緑が多く、南方とは言えない。満州・朝鮮と華南・東南アジアのGMを一目見た場合、満州・朝鮮は北方型を示す。満州・朝鮮は黄が1~2割以下となり、赤が2~3割ほどになるが、青緑が7~8割と言う独特の割合。

 

≪ 作物の伝播 ≫

 

この東アジア北方O諸族はY染色体では、長江稲作民と言われるオーストロアジア諸族のO1b1に最も近く、次にオーストロネシア諸族に近く、シナ人のO2に近いとなる。DやCからは非常に遠い。古代満州で稲作を行っていたとされている。その痕跡があるらしい。日本と朝鮮は古代から稲作を行うが、満州人は稲作民ではない。高粱等の寒さに強い雑穀を栽培した。狩猟と牧畜中心で、少し農耕を行う。日本人は完全に稲作民と思い込んでいるが、それは実は江戸時代から。特に古代は稲作もやれば、漁労、畑作、狩猟を行っていた。稲作が中心的ではあるものの、完全な稲作民と言うわけではない。白米を最高のごちそうとしたりし、白米を偏愛するようになり、稲作民化が凄まじく進行したのは江戸時代。特に古代人は狩猟文化が濃厚に残り、獣を良く狩り、食べる。仏教化で、狩猟文化・獣肉食文化が少し弱まる。とは言え、特に武士・鎌倉武士は狩人でもあり、鹿・猪を良く狩り食べる。朝鮮人も稲作民族とは言えない。日本と同じく、稲作に向かない土地・気候が広く分布しているからだ。稲作ができる土地では稲作を行う。

東アジアは華南・東南アジアに比べると、北であり、気候が稲作向きではない。特に当時の稲は冷害に弱く、東アジア向きではない。戦前までは稲の冷害に強い品種改良が成功しておらず、気候が稲作に向かない東北で強引に稲作をして、飢饉になった。これは寒さに強く、山岳や、痩せた土地でも育つ米よりも栄養価が高い蕎麦などを中心にしていれば防げたかもしれない。当時東アジアは稲作に向かない土地も多い稲作民にとって嫌な土地。その反対に特に東南アジアは稲作に最高の土地で、中世には二毛作でコメの生産量が東アジアをはるかに超える。長江稲作民にとって東南アジアは最高の土地。

長江稲作民族から東アジアのO諸族のO1b2は別れたそうだが、稲作民としての価値観から日本・満州・朝鮮には来ないのではないか。東アジアO諸族の土地はあまり稲作に向いていない。寒い。長江から遠い。北・黄河周辺にはシナ人がいる。日本だと船を造り、海を越えなければならず、溺死する危険が高い。稲作民であり、長江周辺に住むとのことから、狩猟採集民・低身長のオーストラロイドが住み、人口希薄で、寒くならず、稲作に向いている、降水量が多い、近い東南アジアに向かって歩いていくのではないか。なんといっても、そうすれば溺れ死ぬ危険を被らずに済む。シナ人と接触しなくてすむ。そして、寒さに震える事はない。北のシナ人に圧迫されたとすれば、北の民族を恐れていたかもしれない。

ヴェトナム人は長江近くに住んでいた可能性があるようだが、北のシナ人に押し出されるようにインドシナに移動したのではないかとする説がある。ミャオ・トン等長江稲作民の生き残りとされる民族は南に向かって民族分布が広がる。南はインドシナの山岳地帯。民族の分布が分断されているにも関わらず、ミャオと区別される。これら北のシナ人に圧迫され、南下し、東南アジアに移動する。その因果からすれば、北上する可能性は低く、南に向かう。満員電車で出入り口近くにいると入ってくる者に押され奥に移動するように、南に向かう可能性が高い。そして、シナ人がいる、住んでいることもあり、長江稲作民族は北に行きたがらないのではないか。

GMでは長江稲作民族と全く違う東アジア北方O諸族。満州は抜き、古代から稲作をしていることで、長江稲作民族が侵入したとするのがいる。しかし、稲作を始める事と、異民族の侵入拡大は別とする必要がある。米以外の穀類などを踏まえてみる。

 

▼ ジャガイモ

アンデス原産のジャガイモをヨーロッパで栽培し、白人どもは食べるようになったが、ヨーロッパのジャガイモ栽培農民はケチュアアイマラではない。そして日本でも江戸時代食べるようになったが、ケチュアアイマラが日本に“渡来”ではなく、侵入して栽培したのではない。

 

▼ トウモロコシ

北米東北部のインディアンはトウモロコシを栽培し、それを白人に教えてしまった。遠いメキシコがトウモロコシ栽培の発祥とされ、トウモロコシは発祥のメキシコから北はカナダ、南はアンデス高地に至り、栽培され、食料とされるが、メキシコのトウモロコシ栽培民族が“渡来”ではなく、侵蝕したとされていない。メキシコから遠い険しいアンデスや北米東部・カナダにメキシコの民族が移住した痕跡は今のところ出ていない。メキシコの民族移動なく、トウモロコシ栽培が民族を分離し移動した。自然・動植物を観察している狩猟採集民は少し失敗しても、試行錯誤を繰り返し栽培成功したのだろう。

典型的なバッファローを狩る平原インディアンのスーは五大湖周辺のトウモロコシ栽培農耕民族だったが、異民族に侵蝕され、大平原に押し出され、農耕を止め、バッファローを狩る狩猟民族に変わった。農耕民から狩猟民に変化するのも可能。狩猟民から農耕民に変化するのも可能。でなければ、人類は狩猟採集民から始まっている事から、農耕は始まらない。

 

▼ そば

そばの原産地は初め、シナ北部・中央シベリア南部とされたが、現在はシナ南部が原産地だと言う。日本では縄文時代後期にそばを栽培していたとされる。農耕をしていないとされた縄文時代にそばが栽培されていた。縄文時代後期、この原産地の民族は長江稲作民か、それよりも古ければオーストロネシア諸族だろうと思われるが、その民族が来て日本でそば栽培を始めたとは強調されない。稲と違い蕎麦の栽培に原産地の民族が“渡来”ではなく、侵入したと強調されない。それはこの民族が蕎麦栽培をほとんどしておらず、ほぼ稲作をしているからだろう。土地が蕎麦向きではなく、稲向きだったので蕎麦栽培の必要がなく、稲作で良かった。長江そば栽培民族が日本に“渡来”は無理があるから、強調しなかったのだろう。

縄文時代の蕎麦は縄文人が華中・華南に行き、稲とともに日本に持ち帰り栽培していたのかもしれない。

 

▼ もろこし・高粱

紀元前3000年頃からスーダンエチオピアで栽培されていた。満州・シナに伝播し、米と同様に炊いたり粥にしたりする。満州に土地気候にふさわしく、満州で栽培される重要な作物。日本には中世にシナから入った。シナ人が”渡来”し、高粱を栽培、との事は強調されていない。

 

日本に稲作開始と異民族侵入を強烈に関連付ける。稲作と異民族侵入を関連つけたい執念なのか。これ以外に作物の伝播と異民族侵入の因果・関連があるとするのはあるだろうか。多少調べたが、日本で稲作開始、弥生人なる異民族が”渡来”と同じ歴史的事実を私は知らない。ほとんどはただ作物が伝播した事しか記されていない。異民族が侵入し栽培開始はほとんど見ない。それを踏まえると、この”渡来”は異常ではある。縄文時代から縄文人が稲作を始めていた説は消えてしまったのか。

長江稲作民が東アジアに侵入したとした場合、紀元前後だと言う。黄河のシナ人の政治闘争の影響で、長江の民族は満州・朝鮮・日本に移動を開始したと言う。それを踏まえると、古代の日本・満州・朝鮮の言葉はほぼ長江稲作民族の言葉になるのではないか。服装・髪形・文化は長江稲作民と日本・満州・朝鮮は同じになるのではないか。神話もほぼ同じになるのではないか。伝説の中の人物・神話の神も同じになるのではないか。しかし、長江稲作民と東アジアO諸族は完全に一致しない。東アジアO諸族でさえ、完全に一致しない。部分的似ているのがあったとしても、一致しない。似ているとしてもどちらか主かは不明。偶然一致しているだけかもしれない。日本・満州・朝鮮・ミャオ・トン・ベトナムは全く違う。Y染色体を踏まえた場合、違ってはいけない。同じでなければならない。Y染色体にのみ共通点がある。GMは完全に正反対。これはおかしい。日本・満州・朝鮮のY染色体を操作したのではないか。

 

 

 

≪OとDが多く似ている日本とチベット ≫

 

パプアニューギニアに多いMSがある。これは初め分離して扱われたが、その後、非常に近い関係にあるとのことでMSとひとまとめにされる事となった。このMSはK2から分離したK2bで、K2bが二つに分離し一方をMSとする。パプアニューギニアでMとSの分布はほぼ重なる。Mが高頻度だとSが低頻度になり、Sが高頻度だと、Mが低頻度になる。頻度が違うだけでしかない。同じ集団から二つに変異した同族。一方が外部から侵入したよそ者・外来者ではない。MとSどちらが古いのかはわからないが、変異したとはいえ同系統とのこと。天皇から武家になった源氏・平氏のような関係に近いのだろう。

“現在”日本などの東アジア北方O諸族のOは、MSと同じくK2から変異したK2aで、さらにそれは二つに別れ、Kを消し、OとNに変え、分離している。日本とチベットは珍しいDが多く、なぜかOも多い、しかし、GMでは北方型を示し、縄文顔ではない。Dは縄文の遺伝子とされているが日本・チベットは縄文顔の民族ではない。チベット人は日本人よりも薄い北方顔をしているのが多い。日本とチベットは珍しいDが3~4割で、Oが3~5割ほどであるが、GMでは北方型を3~6割失う南方型にならず、北方型。

珍しいDが半数前後で、Oが半数前後で、GMは南方型ではなく北方型で、Y染色体GMの不整合・縄文顔多数派民族ではない、が一致する。MSを踏まえ、閃いたのが、それぞれ日本・チベットでDから一部が変異し、日本・チベットの“現在”Oに分類されているOとなり、変異せず残ったのが、Dとされたのではないか。それゆえ、Y染色体を踏まえれば、華中・華南のシナ人と同じGM遺伝子となるはずだが、そうならず、北方型を示し、南方型が増えない。

民族的・地域的にDが多い珍しい日本とチベットにはなぜか同じくOも多い。どちらも日本人と“大混血”したにもかかわらずDが異常に高頻度のアイヌよりもDが少ない。そのOが多い日本人と大混血をしているアイヌにDが多いのはおかしい。少なからずOが入っているはずだが、Oがほぼいない。Oの中でも、O1b2が少なからず増えるはずだが、全くいない。それで、アイヌのDを高頻度にし、日本・チベット、どちらもDを高頻度にしてはいけない原因があり、操作したのではないかと疑ってしまった。政治的意図を持ちY染色体は操作に成功したが、GM遺伝子は操作しようとしたが出来なかった。あるいはGM遺伝子関連の情報を知らなかったので操作せずに、調査をされてしまった、と思い浮かんだ。

戦後左翼国家日本国では純血・鎖国・閉鎖的・単一民族・排外・排他・右翼・日本人・自民族・民族主義は悪、嫌う、劣位に置く。混血・開国・開放・多民族・多様性・寛容・異民族・国際的・世界・異民族中心主義が善に覆る。なぜか開国を好んで使い、「開国ぜよ」坂本龍馬が好まれ、尊敬するというのもいる。白人人種差別主義アメカスのペリーが好印象。混血は見た目が良い等で好印象。

そして、日本・チベットGM遺伝子では南方が増えた北方型の朝鮮人華北のシナ人とは違う、ともに南方が少ない北方型。意図的に操作していない場合、日本とチベットのOはともにOに分類されているが、そのOは特殊なOで、Dの中でも最も新しいDで、それぞれ日本・チベットでDから変異したDで、大まかに分類すれば、Dなのではないか。そうなると、ともにDが9割以上の高頻度になる。GM遺伝子と整合性が出て、近くなる。特に異民族が大規模に侵入した事実がない、あるいは、侵入していない可能性が高い日本・チベットの歴史にも、合致する。

現在の日本男・特に40年~60年代生まれは女々しく・軟弱だが、戦前までの日本男は強硬・雄々しい、男らしく、武士は食わねど高楊枝、一所懸命、縄張り意識が凄まじく強く強烈で、素晴らしい事によそ者・異民族・夷荻に不寛容、排他的・排外的で、外敵には私情を捨て、ボロボロになりながら戦い、つらくても、苦しくても弱音を吐かず、“頑張った”。民族に拘った。新しく発生した、南・南西の南方黄色人種が北・北東の日本列島に侵入できたとは考えられない。紀元前の日本男は不明だが・・・。

技術力・生産力が石器時代よりも高まった鉄器時代以後に、東南アジア・台湾・華南から大規模な民族移動・“渡来”と言った異民族侵入の過去が明確に日本に残っていない。華南・東南アジアは北からの民族移動が頻繁に発生し、台湾は東からの民族移動が頻繁に発生したにもかかわらず、北・東北の日本列島に押し出されず、台湾・東南アジアに移動、押し出された。

現在知られている確かな歴史的事実の中では、安土桃山時代、東南アジアを拠点に日本に侵入した白人が最も古い東南アジアからの北上である。しかも、東南アジア諸族ではなく、“白人”。その白人も結局排除された。東南アジア製品が日本に持ち込まれた安土桃山時代。単純な愚か者はモノの移動と人の移動は別であることがわからず、この事を見て、東南アジア製品が日本にある事で、東南アジアからタイ人・フィリピン諸族・ベトナム人・ジャワ人が来たと思いこむのがいるかもしれないが、沖縄を含めた日本人が東南アジアに行き、日本に持ち込んだりした。

特に古代以前はよくわからない、はっきりしないが東南アジア・南洋から、航海民族が来た、もたらした、と決めつけるのは個人的好き嫌い・私情・妄想・願望に囚われた朝鮮人ウリジナルと同じく、頭がおかしい。異民族を中心にしてしまう、何でも外来起源・異民族起源を植え付けられているからだろう。他律史観。

 

≪ 朝鮮半島の先住民・日本人 ≫

 

古代日本に多くの異民族が来た、半島から来たのを朝鮮人、と決めつける。しかし、これが定かではない。日本へ民族の移動がはっきりしない。新羅統一以前半島には日本人が住んでいたり、半島に行った事、遠征等は無視。これを踏まえないから、朝鮮人にしてしまう。反対になぜか日本に朝鮮人が大量に住んでいたことにしてしまう。これは朝鮮人の妄想朝鮮史と全く同じ。朝鮮ドラマでは、古代半島に日本人がいた事は消され、反対に日本に朝鮮人が住んでいたり、高句麗の広開土王が日本を攻めて、入り込んだり、高句麗百済朝鮮人だったりと朝鮮人中心に書き換えている。“古代朝鮮人が日本に来た、住んでいた”や、“日本人より朝鮮人は文化が高い”などは朝鮮人が捏造した妄想。その妄想を何も考えず、受け入れ、手のひらで踊らされる民族の歴史を受け継がない愚かな“日本国民”。愚かな日本大好き親米愛国保守。

黄色人種発祥の地中央アジア。日本人は最古層の黄色人種。そこから東に移動したもっとも古い民族。日本とユーラシアの地形と移動。新羅統一前、なぜか現在の“朝鮮半島”に日本人の拠点がある。ほとんど新羅と戦う神功皇后三韓征伐。高麗時代に編成された新羅の記録には新羅初期に“なぜか”・“わざわざ”、日本人が海を越え、新羅を攻めた、と大量の記録。スサノヲの新羅降臨、その後“そこを嫌い”、出雲に来る。朝鮮人、シベリアのエヴェンキ説。日本・高句麗百済同族説・扶余語族説。などを踏まえれば、“現在”の朝鮮半島朝鮮人よりも早く日本人が住んでいて、その後朝鮮人が侵入したと考えられる。

朝鮮半島から朝鮮人が来た”という場合、新羅建国から新羅で統一の間に大量に来たとしている。しかし、それは朝鮮人と見なしていいのだろうか。朝鮮人と決めつけるのは“現在”朝鮮半島朝鮮人が住んでいる事を基準にしているだけではないか。この古代朝鮮半島から来た民族は、朝鮮人ではなく、列島とは違う文化を持つ半島の部族・日本人、列島から移住・派遣された日本人説があってもいいのではないか。

人口が少なく、技術力が低く、農業生産力が低い、狩猟採集民エヴェンキ・弱小侵入朝鮮人は、現代風に言えば新羅国民日本人が民族で団結するのを恐れ、排斥したのかもしれない。この新羅国民日本人・半島先住民日本人には血・民族で団結を重視する者がいた可能性はある。列島や半島の日本勢力が、新羅国民日本人と繋がろうとし、血で団結した可能性がある。日本人の領域である新羅地域が侵入異民族・朝鮮人に侵蝕されることに怒り、反発し、抵抗した可能性がある。

当時は右翼・左翼なんてものは存在していない。右翼に見られる事、「血で団結するのは危険だ。」、と分けの分からない事を強調したり、民族・血で団結する事に拒絶反応を示す日本人は絶対にいないと考えられる。現在と違い、左翼思想に蝕まれておらず、躊躇いもなく、外来者・よそ者・異質・異端・異種・異民族を敵視・排斥・憎悪・殺戮できたと考えられる。動物として、生き残ろうと動く傾向が強かったはず。外来者・侵入者・よそ者・異種・異民族をすぐに縄張りを蝕む敵・“我ら”を滅ぼす敵・“我ら”の縄張りを奪いに来た敵とみなせたのではないか。

それで、朝鮮人新羅国民日本人・半島日本人を大量に狩る事をした結果、古代半島から日本人が列島に移動し、それに激怒した列島の天皇は兵を動員し、遠征した、と繋がる。その新羅国民日本人は朝鮮人が半島に住み付く前からの住民。神功皇后三韓征伐はこのような朝鮮人の侵蝕によって引き起こされたものではないか。因果関係を踏まえればあり得ない事はない。このような説を唱えても良いのではないか。

はっきりしている事はあるが本土ではなく、沖縄。中世沖縄にシナ人の移民があった事実はあり、漢人満州人などの王朝と沖縄は繋がっていた。日本国籍・日本名だが、今でも完全にシナ人の子孫がいる。この連中は沖縄戦時、日本の敵・民族の敵・有色人種の敵・侵略者アメ豚に繋がる。日本国籍でしかないシナ人だから当然。民族主義者からすれば、日本の敵と繋がるのは当然で、間違っておらず、自然な行動。なので、以後、沖縄から消す。一人住む事・生きることで、一人住む・生きる領域を奪った、侵蝕したとみなす。

その沖縄は本土よりY・GM共に南方要素が増えていない。朝鮮人GM遺伝子に近くなるはずだが、違う。これも歴史と遺伝子の不整合。ミャオ・ヤオ・トン等が日本・本土に来た、と強引にこじつける者は、この華南・華中に近く、上陸するまでの時間が少ない事で、海上に居る危険な時間が少なくて済む、本土に比べれば侵入しやすい南西諸島にこの異民族が入り込んだとは全く言わない。海上に居る危険な時間が長い九州等西日本に来たと言う。強引にこじつけられる文字による記録がないからだ。

 

≪ 日本人大混血を強調する意図 ≫

 

日本人が大混血であるかは今のところはっきりしない。“純血”のはずで、“多くの民族が来た”、“南北混血”と言われていない、GM遺伝子では北方に南方が少し増えた朝鮮人と、さらに南方が増えている黄河シナ人と違い、日本人はGM遺伝子では北方民族。しかし、「日本人は大混血」となぜか異常に強調するのがいる。GM遺伝子を無視し、操作されているかもしれないY染色体や、縄文人南方・弥生人北方、あるいは、最近はその反対、縄文人北方・弥生人南方を植え付けられてそれを基準にし、「日本人は大混血」を強調しているのだろう。その強調する意図を考える。

戦後になると、民族主義と、血で団結と、異民族排斥と、日本・日本人悪に変換された。そして、異民族はかっこよく、きれいで、強く、力が強い、となる。異民族善となり、異民族とその混血好印象と変換された。これは特に白人に適用された。戦前世代は白人人種差別帝国主義時代に生き、戦い、白人だけでなく、異民族の極悪さ、酷さを知っているので、“異民族が悪”であることを、戦後も少なからず抱き続け、反日本人行為はひどくなかったが、戦前世代が社会の中枢から消え始めた特に1980年代にこの変換工作が進行した。

1980年代、白人、特にアングロサクソンの映画・ドラマ・音楽で白人に脳を蝕まれた戦後最悪の世代が20~40代になり、印象・主観・気分・好き嫌いで、事実を歪め、日本に影響を与える。この時は2017年程日本に異民族はいない。異民族が日本で働いていない。スポーツの日本代表に日本国籍異民族が出ることは全くと言っていいほど出ていない。テレビ番組に民族浄化の雑種が出てはいたが、今ほど多くはなかった。“外国人・外国人・外国人・・・”と日本に侵入した異民族を出す番組はない。

“開国”・“維新”を好んで使うのがいる。善である、素晴らしい異民族に開けば、日本はよくなると思い込み、“開国”したい、すべきと言う事。“維新”は自民族が独立・生存・勝利・繁栄する為に異民族と対決、排除する為に改めると言う本来の右翼的意味は消え、善である、素晴らしい異民族・善をもたらす異民族に開き、受け入れれば、日本は良くなる、国際的世界市民的素晴らしい日本になる、国際化し、国際人となり、日本は良くなる、と言う左翼的な“維新”。どちらも民族の歴史を無視し、印象・個人的好き嫌いで“開国”・“維新”を主観的に使う。左翼的私情で勝手に解釈し、歴史的事実を変える。

善である素晴らしい異民族、善をもたらす異民族、と植え付けられる事で、古代に開国した結果でもある、異民族が日本に侵入した事、異民族との混血に好印象になり、素晴らしい・善の異民族と繋がりたい、あやかりたいとし、個人的好き嫌い、主観に囚われ、事実を無視し、「日本人大混血」、「日本人は混血。」と強調しているとも考えられる。反対に歴史的に異民族の“渡来”があった大混血の朝鮮人・シナ人の大混血は強調されない。やられた結果であるシナ鮮の大混血は強調されない。それは日本以上に“開国”していたから良い状態になっている事になる。しかし、日本人よりシナ鮮はよい人・民族となっていない。シナ鮮を日本・日本人より良いとするのは日本に少ない。鮮流で愚か者が“韓国イケメン”と言っているのがいるくらいだろう。シナ鮮を踏まえると、開国を善とする因果が崩壊し、開国妄想は所詮妄想でしかない事になってしまう。

それを踏まえられることがある。「古代多くの民族が日本に来た。それを誇って良い。」、と言うのが1990年代の小説にあった。いきなり、その小説とは全く関係ないのに出てきて、これで終り、なぜ誇っていいのか、古代に多くの異民族が来た事実などは示されない。“日本人大混血”を強調する者に共通する“古代日本に多くの民族が来た。”を前に置き、それに繋がるのが、“それを誇って良い”。“誇って良い”とする事は、書かれていないが、異民族が善で、素晴らしい、異民族が善をもたらすからだろう。素晴らしい、善である異民族に開けば日本は良くなる、開国妄想が根底にあるので、“誇って良い”に繋がる。それ以外に誇って良い因果はあるだろうか。この“誇って良い”が重要で、異民族好印象の因果性・整合性を踏まえられる。

異民族好印象・古代日本多民族妄想を前提にしているから、短文で終わる。この短文だけではよくわからないのだが、左翼的“開国”・“維新”や、混血を“ハーフ”と言い、“ハーフ”はきれい、スタイルがいいや、異民族を異民族と言わず、“外国人”と言い、外国人は力が強い、体格が良い、容姿が良い、美人、かっこいい等、異民族が好印象で、異民族好印象化脳侵蝕を踏まえるとわかる。

これは“古代日本に多くの民族が来た”と、“それを誇って良い”と、“異民族好印象化”、“異民族は善をもたらす存在”を植え付け、異民族を日本にだーい歓迎する追い込みの可能性もある。古代日本に多くの民族が来たことは、“誇るべき良い事”と印象を抱き、なんとなく異民族が善・良いと抱く。これで重要なのが全体的に短文で、“誇って良い”と言う感情的、感覚的・主観的・私情を持ち出す事。その正当性を論理を示さない事。

短文で印象・感覚・感情による植え付けは、バカに手軽に植え付ける最適な手段。馬鹿は文が長い、言葉が多いと読まない。視野が狭く、判断できないから読んでもわからない。文が長いと、「長文は読まない。」、「長文なんて誰も読まない。」、「長文を書くのはバカ。」と言う。文が長いと言う事で文句を言ってくる。馬鹿は気分で動くから論理は必要ないどころか、論理を揃え文が長くなると悪印象になる。この手の感情的・感覚的・主観的な中身のない短文は印象を操作し、植え付ける、追い込み最適。

もう一つ考えられるのが、古代多くの民族が来なかった、混血していない事実を知りつつ、古代多くの民族が来た、混血したと妄想を植え付け、過去を基準に正当化、伝統主義・因習主義で、これから異民族の侵入を促進させ、それに協力させ、日本異民族化し、混血し、民族を失わせる追い込み。それで古代多くの民族が来た、混血したと植え付けられている可能性もある。

例えば、こんなのを読んだことがある。左翼先生「古代日本に多くの民族が来た。」、左翼生徒「だから外国人は日本に来たがるんですね。」、とこれで終り。この参考書は先生と生徒の問答式で進める書き方で、書いているのは一人。先生と生徒は同一人物で、著者。

「だから外国人は日本に来たがるんですね。」、と繋がるのが理解できない。そもそも、現在日本に異民族が侵入するのは、“経済発展した日本”で稼ぐため。そして、日本を侵蝕し、乗っ取る為。白人・朝鮮人・シナ人にとって危険で、有力な民族・日本人を少数民族にしたり、滅ぼす為で、古代に日本に“外国人”と言う異民族が来たこととは因果性がない。古代日本に異民族が来た場合、何を意図して来たかはわからない。そして、現在日本に来たがる、来た民族は古代日本に来た民族と言う因果がある事になるが、そのような歴史的事実は今のところ存在しない。古代日本は民族移動が頻繁にあった東南アジア、インド、バルカンのように多民族状態の事実が存在しない。捏造された日本史を植え付けられた者の妄想の中にのみ存在する。

これも印象・感情・感覚・主観を操作、植え付ける追い込みの可能性がある。追い込まれているのが、自発的に追い込んでいるのかもしれない。

 

≪ 印象で決めつける愚か者 ≫

 

「古代多くの民族が日本に来た。それを誇って良い。」や、「古代日本に多くの民族が来た。」、「だから外国人は日本に来たがるんですね。」等このような空虚な決めつけ、分けの分からない決めつけ、空虚な印象による決めつけ、印象を操作し、左翼脳を植え付けようと左翼・異民族はする。考えない者はそこでその決めつけを受け入れてしまう。これでは印象・主観・感情・感覚・気分・私情・好き嫌いで成り立つ左翼戦後日本は強化・進行し、右翼化による正統日本に覆せない。このような左翼の印象操作への対応を考える。前提・根拠を問い攻める。相手の分けの分からない事を自分で因果性・前後関係などを考えていると、固まってしまうから、その相手に問うと良い。日本大好き親米愛国保守など左翼はバカ女と同じく女々しい。子供と同じで幼稚。まずは最初に論理で攻める。それでファビョるならば、力で押さえつけるしかない。相手が強そうだと、逃げるだろう。反撃力が強いと逃げる、あるいは怯えて見せて、被害者を演じるだろう。

▼ 「古代日本に多くの民族が来た。」

「古代のいつ来たのか。どの民族が来たのか。どこから来たのか。」

さらに攻める。

「古代日本は多民族状態ではなかった。世界史を見ても民族の移動があれば、必ず多民族状態などの痕跡が残るが、古代日本にはその痕跡がない。来てはいないではないか。来ていると決めつけるならば、その事実を示すべき。

「古代日本に明確に異民族の文化と言えるものは何がある。あったとしても、古代日本の文化を異民族が真似、採用した可能性もある。それが異民族の文化であることを示すべき。」

それに関連したことを付け加える。

「“日本の中の朝鮮文化”となぜか朝鮮人を主にしてしまうのがあるが、半島先住民の日本人の文化を紀元後に半島に侵入した朝鮮人が真似した可能性もあり、朝鮮人を主にすることはできない。なぜ朝鮮文化と認定できる事を示すと良い。

スサノオが息子と新羅に下り、“そこを嫌い”、出雲に来た伝説を踏まえれば、スサノヲなど国つ神系統は朝鮮人が侵入する前の半島の部族の神で、朝鮮人侵入により、異民族の土地に変えられ、自部族の土地を嫌い、出雲に来た事をこの神話は示している可能性がある。出雲勢力は異民族・朝鮮人の侵入で列島に近い、出雲に移動した半島先住民の部族かもしれない。勢力が巨大になり、列島部族の天皇家天津神側が征伐しに行った、とも考えられる。朝鮮人の古い文化は列島ではなく半島の日本文化の可能性がある。なので“日本の中の朝鮮文化”と言えないのではないか。

文化・物の移動と、ヒト・民族の移動は別である可能性がある。航海民族の可能性が高い古代日本人が日本以外に渡り、それをもたらした可能性もある。」

▼ 「・・・それを誇って良い。」

「古代に日本に多くの民族が来ると、誇れる因果関係がわからない。」

▼ 「古代日本に多くの民族が来た。」、「だから外国人は日本に来たがるんですね。」

「古代日本に多くの民族が来ると、日本に来たがる因果がわからない。」

「古代にどの民族が来たのか。現在その民族の子孫は古代に日本に来たから、日本に来たがるっているのは事実なのか。」

過去に行くと、現在・未来に生きたがると言う分けの分からない事を世界史を踏まえ攻める。

「北米インディアンに非常に近いと言うシベリア北部のケット人は北米に行きたがる事になる。」

中央アジアのトルコ諸族はイラン・アラブ・アナトリア・東ヨーロッパ・バルカン・北インドに行きたがる事になる。」

スマトラの民族はマダガスカルに行きたがる事になる。」

「オランダ・デンマークノルウェー諸族はイングランドに行きたがる事になる。」

「台湾諸族はフィリピン・インドネシアポリネシアマダガスカルに行きたがることになる。」

朝鮮人エヴェンキ説を踏まえる。「シベリアのエヴェンキ朝鮮半島に行きたがる事になる。」

「モンゴル人はシナ・ヨーロッパ・ロシア・朝鮮・ベトナム・イラン・アラブに行きたがる事になる。」

さらに攻める。

「“古代日本に多くの民族が来た”が正しいと仮定する。文字を使い、日本の実態が明らかになる奈良時代~まだ“貧しい”昭和中期まで、異民族が日本に来たがっている事実がない。バブルの昭和末期から異民族が日本に来たがる、侵入した。それは“古代に来た”とは関係がなく、経済発展した日本にあやかろうとし、“稼ぐ為”。

それを踏まえると、日本人は最古のアジア人の一派で、中央アジアから黄河流域・長江流域に来て、満州に来て、朝鮮半島に来て、日本列島に来た。明治、朝鮮半島を支配し、日本領にし、日本人が朝鮮半島に来た、行きたがったのは、紀元前3~4万年程に満州黄河下流域から朝鮮半島に来たからなんですね。となると思う。日本人の朝鮮へ“渡来”・移住の因果となる。明治から朝鮮半島は最大の脅威ロシアの拠点になる危険があったからで紀元前3~4万年に日本人が満州から半島に行ったことや、古代日本が半島に遠征したり、統治していたりとは関連性はない。

黄河流域・長江流域・満州も日本人が“来た”土地なので行きたがる事になるが、そこに行きたがっている日本人はいるのだろうか。私は知らないので教えてもらおう。

朝鮮人は古代日本に来たからではなく、生活の為に朝鮮よりもましな日本に来たがって、侵入した。アメカスの手下として、アメカスの代理民族として、アメ豚の日本侵略の為に“日本に来て”いる。朝鮮人が古代日本に来た歴史的事実は確かではない。現在の民族分布を古代にも当てはめているが、古代の民族分布は現在と違う。朝鮮半島からなぜか朝鮮人が来たと印象で決めつけているが、半島に住んでいた日本人の可能性もあるだろう。

日本・百済高句麗は同族であると言う、扶余語族説がある。これを踏まえ、百済日本人・高句麗日本人がシナ人・朝鮮人の迫害から逃れるために“半島”から日本に来た可能性もある。朝鮮人が日本に大量に住んでいた、満州に住んでいた、と言うのは朝鮮人の妄想史観。朝鮮人に妄想日本史を植え付けられている。

そもそも人口が少なすぎる建国から非常に不利な新羅朝鮮人は異民族の土地に入り込み、流出していたら、兵力は少なすぎ、農業生産力は低すぎ、経済力は低すぎ、文化は低すぎとなっているはず。新羅朝鮮人による半島統一は不可能。特に兵力不足は深刻となるはず。日本・百済高句麗との戦いに非常に不利になる。そして、日本人と違い、朝鮮人は海に慣れ親しむ民族ではない。新羅の記録では、たやすく海を渡ってくる日本人と対決する為に、反対に海を越え、日本の拠点を攻撃した事実がない。

日本人は半島に遠征した伝説を持つ。ピョンヤン周辺で騎馬隊中心の高句麗と対決した。大量に海を越え、攻撃する日本人の事が新羅の記録にある。百済末期、同族だからかはわからないが、百済救援のために海を越え、大軍を派遣する。日本人は航海民族だった。半島に気軽に生き、半島から気軽に列島に来る。古代朝鮮半島から朝鮮人が大量に来たとの妄想・印象を抱くのがいるが、朝鮮人ではなく、日本人の可能性もある。朝鮮人だと言うならば、その事実を示すべき。」

朝鮮人の肩を持つ、独立・自律・自由が奪われた左翼の中には、古代朝鮮人が大量に日本に来たと言う虚構を踏まえ、朝鮮人が日本に居る、日本に入り込むことを正当化、朝鮮人排斥に拒絶反応を示すのがいるので、ここまでつなげてみた。

こんな事を考えられる日本人が全くと言っていいほどいない。それほど日本人は劣化し、弱体化している。考えないで、印象・気分・感覚・感情・私情・好き嫌いなどに囚われ、左翼・異民族の掌の上で踊らされる。

 

≪ 食い違うY染色体 ≫

 

日本人のY染色体は意図して、Oを増やしたのではないか。GMと違い、Y染色体縄文人南方・弥生人北方の妄想、日本列島は南北から多くの民族が来て混ざり合い日本人に成ったとの妄想に沿った素晴らしい結果が構成されている。南北混血説を事実とするために、意図して、Y染色体を設定したのではないか。

特にY染色体は良くわからない。これがおかしいと考えず、鵜呑みにしているのが多いが、信憑性は高いのだろうか。歴史を踏まえ、おかしいと考えたことを軽く書く。

白人と大混血している、純血は少ないアボリジニ北アジアのCとは別のCが多数で、Kが少数となっている。白人のRは少ない。

縄文人と遺伝子が同じだと言うブリヤートはDではなく、CとNが多く、驚くのがモンゴルとともにパプアニューギニアに多いKが少し入っている。チベット人にも少ないながらKがある。

ほとんど民族の移動がなく、移動し辛い自然で、いい意味で閉鎖的で、停滞していたと思われるパプアニューギニア諸族にOとCが入っている。しかも高地の民族にわずかにCとOが入っている。

北方遊牧民、特にトルコ諸族が頻繁に侵入したり、奴隷兵士にして、支配・蹂躙されたイラン・アラブにCがない。その遊牧民の子孫であるトルコにCがない。そのトルコが南下前に居たキルギス・カザフ・ウズベクにはCが入っている。カザフ以外はCが少ない。キルギスに南方Oが3割ほど入る。トルコはスラブなどをイスラムに改宗させてとトルコ人の国家の構成員に加えたりした。それでもCが少なすぎる。

モンゴルに蹂躙されたロシアにCがない。ロシアはモンゴル以外にもNの黄色人種が近くに住んでいて、争う。コリヤークとヤクートに南方Oが少ないが入っている。シナ人にKが1割ほど入っている。イタリアにKが少し入っている。等Y染色体はよくわからない。これは完全に信じられない。とは言え、全否定もむずかしい。部分肯定・部分否定する。場合によっては全否定するのもある。

この先、Y染色体は間違っていた。あるいは操作されていた、となる可能性があるではないか。“日本人と大混血”・アイヌのDが高頻度なのは日本人のDが90%以上の高頻度だからだった。華北シナ人はCが高頻度だった。マオリはRが高頻度だった。北部アラブ・イランはCが高頻度。フィリピンはR・Dが少ないが入る。朝鮮人、特に南鮮はDが高頻度。と現在と全く違い、覆されるかもしれない。

 

▼ アイヌ

日本人と大混血している事実があるアイヌY染色体はDが圧倒しているのがおかしい。“日本人には南方民族のOが多い”のだから、アイヌにもこのOが少しでも入っているはずだが、Dが圧倒的。この不整合を踏まえると、日本人のYにOはないのではないのか。Oは実はDなのではないか。あるいはOがいても、1割もいないのではないのか。日本人と大混血した事実があるアイヌY染色体が日本人のY染色体ではないか。

Dは日本の原住民設定で、Oが渡来人。アイヌが日本の正統な民族で、南北の外来民族・“渡来人”との雑種日本人。侵入民族日本人としたい為に意図して操作したのかもしれない。

南北から日本列島に多くの民族が来た、日本人を大混血民族にしたい、日本人を雑種にしたい、朝鮮人や日本大好き親米愛国保守・反日左翼などが多くいる。多様性と寛容と開国と国際交流善で、鎖国と排外・排他と閉鎖と民族主義悪とする。この連中は客観よりも、主観・感情・私情を重視する。科学的を装う工作をしたのかは不明。不明だからと言って、工作をしていないとも言えない。

なぜか、日本人を大混血民族、南北から多くの民族が来た、を強調し、日本人は血に拘らない、血筋よりも国籍・愛国心・国家への忠誠心があれば日本人とつなげる親日左翼がいる。この連中は歴史、GM遺伝子からするとおかしいY染色体を踏まえ、南方の影響がないGM遺伝子を完全に無視する。それが多かったので、古代南北から“多様な民族が日本に来て、混ざり合い、日本人になった、とし、これからも多くの、多様な民族が来て、混ざりあい、日本人になると思い込ませ、異民族の侵入・侵蝕を歓迎し、日本人の生存の為の排外・排他の芽を潰す為に、Y染色体を操作した、のではないかと考えた。Y染色体日本民族主義化を阻止し、異民族を侵入させ、日本異民族化で日本人少数民族化への道に進めたい左翼と異民族が追い込むために操作したのではないかと考えた。

 

▼ シナ人

黄河シナ人はY染色体では意外にもOの南方。GMでは北方を基本に、南方が3~5倍増えている。黄河シナ人の容姿は完全に北方型。顔はモンゴル人に似ている。体格は良く、腕足が長い。黄河女はどっしりとした骨格・肉付きの良い体形。黄河シナ人もGMY染色体が不整合。特に歴史を踏まえた場合、Y染色体はおかしい。

モンゴル・トルコなどの北方黄色人種遊牧民が頻繁にこの地域に南下した。当然、この異民族男はシナ女を侵す。嫁にする。妾にする。漢字を使い、漢人名を名乗り、シナ文化を採用し、民族・祖先・血筋・遺伝子は変わらないが、伝統文化はシナ化した。GMはこの歴史に合致する。

 

▼ 朝鮮人

朝鮮人GMY染色体が食い違う。歴史的事実として日本人・漢人(本来の漢人・南方型かモンゴル・トルコ・満州型の北方かは不明)・モンゴル人・満州人と大混血している。北には民族的に満州人が朝鮮人国家の構成員になる歴史的事実がある。王権・李成桂満州人説がある。室町時代、西日本の男どもが半島南部に移住した。GMでは歴史にほぼ合致する。日本よりも南方が2倍ほどに増えているから、朝鮮国家に移住した漢人は、本物の漢人で、南方だと考えられる。他にもオーストロアジア人かオーストロネシア人の可能性もある。

Y染色体ではGMの反対で南方要素が多数の南方民族となる。北方民族ではない、南方民族が大量に半島に侵入・移住したのだろうか。このOはシナ人のOと、長江稲作民族のO。資料が少ない、よくわからない紀元前に南方民族がわざわざ寒い北に来る可能性は絶対にないとは言えないが、少ないだろう。向かうのは東南アジアのはず。稲作民ならば北に向かう可能性は低い。当時東南アジア等・南は人口が少なく、空き地だらけだ。歩いて行ける南に向かうはず。本来南方民族のシナ人が北上し、黄河中流域に侵入したこと以外はほぼアジア・黄色人種の民族移動は北から南だった。アイヌがオーストラロイドで、北上したと言うのは私の仮説で、歴史的事実かはわからない。

朝鮮文化にエヴェンキの痕跡があると言う事で、ルーツはエヴェンキだというが、Y染色体ではその痕跡はない。

 

▼ チベット人

Y染色体では南方Oが多い。東南アジア北部の山岳地帯は南方民族Oの発祥の地に近いが、チベット高原は厳しい土地だから、南方民族は西のチベットに向かわず、東の華南・南の東南アジアに向かったのではないか。GMでは南方が少なく、Yの影響が出ていない。過酷な高原地帯であったから、国際的な左翼のシナ軍が入るまでは良い意味で閉鎖的だった。人の移動・民族の移動は激しくなく、混血しても少ないのではないのか。それで、Y染色体のOはDなのではないか。

 

▼ フィリピン

大混血しているフィリピンのY染色体はほぼO。GMも南方民族。しかし、フィリピン女は“現在”の日本女以上の屑女で、異民族の男とよく関わる。南北の違いは不明だがシナ男、日本男、スペイン男、アメカス白人男・黒人男・最近は南鮮男の混血を良く産む。Y・GMともに事実と食い違う。ちなみに混血すると生命力が強くなる、免疫力が強くなる、美男美女が増えると言う割には大混血フィリピンは美男美女が多くない。生命力も強くない。免疫力は不明。

 

▼ マオリ

マオリY染色体はCとOが多い。しかし、白豚と大混血している。Rが増えるはずだがその影響はない。しかし他のY染色体を見るとRが3割ほど入っている。このRは侵略者であるから皆殺しにしていい。民族の歴史を受け継ぐマオリとしては、このR・侵入白人どもに激しい憎悪を抱かなければならない。トンガ・サモアから特に女を招き、ニュージーランドマオリアオテアロアに戻すべき。ハワイのハワイ人も同じことをすべき。

 

特にGM遺伝子とY染色体は食い違い、どちらが事実か、よくわからない。特に日本だけでなく、割合がおかしいY染色体は“すべて”を鵜吞みにしないほうが良いと思う。

 

 

 

http://japanese.donga.com/List/3/all/27/210408/1

東亜日報

血液分析により民族の移動経路を判明する

Posted January. 03, 2001 13:15,   Updated January. 01, 1970 09:00

朝鮮民族の祖先を判明するためには、砂風の激しいコビ砂漠やバイカル湖付近の草原、シベリアの野原などで遺跡地を探しまわらなければならないのか。

デジタル時代には、実験室での血液分析だけでも祖先の大体が分かるという。最近、韓日医学者は両国民の白血球に付着している‘人間白血球抗原(HLA)’がどんな種類なのかを分析し、朝鮮民族日本民族の移動経路を追跡した。

2000年11月タイのバンコクで開かれたアジア太平洋骨髄移植学界で、カトリック医学大学のキム・ドンウック教授と慶応大学の岡本しなちろう教授は、「両国の骨髄寄贈者17万人余りのHLAを分析した結果、図のようにそれぞれの別のHLAを持った幾つかの群れの人々が中国を経由して韓国と日本に定着したことが分かった」と発表した。

いかにしてHLAを利用したこのような分析が可能だったのか。

∇HLAとは?=細胞に‘肩章’のようについており、他の免疫細胞にその細胞が味方なのか敵なのかを区別する‘表示たんぱく質’。細胞核の6番の染色体で作られ、細胞質を経て細胞膜に定着する。このHLAの機能は‘情報要員’と似ている。

∇HLAの種類と民族

HLAは大きく1、2、3型に分けられる。各類型にも多数の種類があり、免疫反応では1型の ABC型、2型のDR DP DQ型が大きな役割を果たす。特に白血病患者に血液を作る‘造血母細胞’を移植する際、供与者と提供者の1型のAB型と2型のDR型が一致するかどうかを主にチェックする。A型は144種類、B型は266種類、DR型は313種類の異常がある。それぞれ異るHLAは子女に遺伝されるため、HLAの種類を分析すると民族の単一性と移動経路が判明される。

∇どの国民が単一民族

医学的には、韓国人、タイワン人、日本人の中で日本人が最も単一民族に近い。単一民族であることを誇る朝鮮民族は2番目、タイワン人は3番目に‘純粋な血統’である。

キム教授は「造血母細胞の移植を希望する患者1人が全体の供与登録者のうち最低1人からでも適合する造血母細胞を移植し得る‘移植確率’を分析すると、どちらが単一民族に近いかが分かる」と説明した。

キム教授は国内の骨髄寄贈者4万2000人余り、日本骨髄情報銀行の寄贈者13万1000万人余り、タイワン・ツジ(慈済)骨髄供与者登録所の寄贈者17万8000人余りを分析した。確率が高いほど単一民族に近く、登録者が多いほど移植される確率が高くなるため、3ヶ国の供与登録者を12万人に換算して計算した。その結果、韓国は70%、日本は80%、タイワンは50%だったという調査結果が出た。

 

 

 

日本人の起源

 

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2Ysennsyokutai_karamita_sosenn..html

Y染色体から日本人の故郷を探る

 

このY染色体のDNAからみても、mtDNAの場合と同様、日本人は単一民族などではなく、世界に冠たる多様性に富む集団であることが証明される。

4.大陸の混乱で難民化した人々が、日本列島に渡来したことでDNAの多様化が進む一方、渡来人も先住の人々も共に平和共存の道を選んだため、多様なDNA集団が列島に残ることになった。

 

すなわち我々が住むこの日本列島は、本来食料資源が豊かで、住んでいる人々も平和を愛する、世界に誇り得る地域であり、そこには古い系統の多様な人々が現在も隆々と息づいていることを再認識したいと思う。

 

しかし、それに劣らない頻度で南方系のmtDNA-B亜型やmtDNA-F亜型などを持つ人々もいた。すなわち、mtDNAの分析からは、Gm遺伝子が示す等質性よりも、北方からも南方からも多方面から、この日本列島にいろいろな集団が流入して、多様性に富む縄文人が形成されていたことを窺わせる。

 

古墳時代に入ると、特に朝鮮半島の南部や北部から新たな集団が、先進文化を携えて渡来してくる。中国東北部に起こった騎馬民族も華やかな文化と遺伝子を列島にもたらし、奈良時代初期には現代本土日本人の祖形が完成する。

 

 

 

 

 

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_10_1syouyoujyurinn.html

縄文時代鎖国状態か

 

たとえば人類学の埴原和郎は二重構造モデルの説明で、「縄文時代はほぼ鎖国状態であった。つまり日本人は10,000年にも亘る世界的にも稀な長期文化期において、他の民族、集団との交流はなかった。民族集団として小進化は認められるが混血などによる人骨の変化はなかった」としている。本当にそうであろうか。

また、考古学の佐原真は、佐原の通説書「大系日本の歴史1日本人の誕生」(小学館)の中で、縄文時代における大陸方面の動向について、ほとんど記述していない。中国大陸では、長江文明黄河文明が勃興していたのに、一言もそれに触れていない。当然、その文明と日本列島との接触があったはずであるのに、その関連の記述もない。まさに列島以外は空白の縄文時代なのである。驚くべきことである。

すなわち人類学も考古学も、縄文時代鎖国に近い状態であったと表明しているに等しい。

しかし旧石器時代、あれほど大陸から文化や人の流入があったこの日本列島が、そして高品質の黒曜石を求めてあれほど往来した大陸の人々が、急に、それも10,000年(上のグラフのように縄文時代というのは本当に長い)にも亘って鎖国状態に陥り、往来が途絶したなど、信じられるだろうか。

 

さらに、縄文時代の前期から中期にかけての巨大遺跡、青森県三内丸山遺跡からも、右図のように、赤い漆塗りのお椀が出土したのをはじめ、ヒョウタン、エゴマ、マメ類、ゴボウ、アサなど、鳥浜貝塚で発見された作物群とよく似た“栽培植物のセット”が発見され、プレ農耕段階の照葉樹林文化の影響が、当時すでに本州の北端にまで及んでいたという、驚くべき事実が報告されている。この事実は、縄文時代が決して鎖国状態などではなく、活発な国際的な文化交流があり、国内においても、東と西の大きな文化差を乗り越えた、人および情報の交換があっていたことの証左であろう。

 

以上、人類学者や考古学者から、縄文時代鎖国状態と規定された縄文人の真の姿を捉えようと、照葉樹林文化圏と日本海文化圏を調べてきた。本節に収めきれない部分は追って研究ノートに掲載したい。

 

縄文人が実は行動的で、美に対する情念が激しく、先祖からの繋がりを大切にする、新しい文化にも閉鎖的ではない、そうした人々であったことは証明できたのではなかろうか。したがって、縄文時代が、日本人の形成という面からも、決して無視できる時代ではなかったと言っていいだろう。

 

 

 

 

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_12_1nihonnjinnzou.html

縄文の国際都市 三内丸山

 

 

三内丸山は自ら数百人規模の人口を擁する大都市であり、且つ周辺に16以上の衛星都市を抱える大都市圏であった。おそらく列島内はもちろん、大陸、沿海州・アムール地方、更には南西諸島まで名の知れた拠点都市であったに違いない。

したがって、ここには、あらゆる物資が集積し、いろいろな人々が集う交易センターすなわち国際都市であった可能性もある。あの6本の巨大な柱の建造物は、おそらく出入りする舟の見張りの櫓(やぐら)であり、狼煙をあげれば通信用タワーとなり、夜、篝火を焚けば灯台代わりとなったであろう 。(そうした意味では、上図の建造物の復元図には屋根が描かれており、筆者としてはやや疑問である。筆者は屋上には、何らかの集石炉が作られていたと想像している。)

次の図は列島内の交易ルート、交易品の数々である。生活物資から装飾品までが列島各地から三内丸山に集積していたことが分かる。

 

このY染色体のDNAからみても、mtDNAの場合と同様、日本人は単一民族などではなく、世界に冠たる多様性に富む集団であることが証明される。

4.大陸の混乱で難民化した人々が、日本列島に渡来したことでDNAの多様化が進む一方、渡来人も先住の人々も共に平和共存の道を選んだため、多様なDNA集団が列島に残ることになった。

 

すなわち我々が住むこの日本列島は、本来食料資源が豊かで、住んでいる人々も平和を愛する、世界に誇り得る地域であり、そこには古い系統の多様な人々が現在も隆々と息づいていることを再認識したいと思う。

 

しかし、それに劣らない頻度で南方系のmtDNA-B亜型やmtDNA-F亜型などを持つ人々もいた。すなわち、mtDNAの分析からは、Gm遺伝子が示す等質性よりも、北方からも南方からも多方面から、この日本列島にいろいろな集団が流入して、多様性に富む縄文人が形成されていたことを窺わせる。

 

古墳時代に入ると、特に朝鮮半島の南部や北部から新たな集団が、先進文化を携えて渡来してくる。中国東北部に起こった騎馬民族も華やかな文化と遺伝子を列島にもたらし、奈良時代初期には現代本土日本人の祖形が完成する。

 

縄文時代における大陸方面の動向について、ほとんど記述していない。中国大陸では、長江文明黄河文明が勃興していたのに、一言もそれに触れていない。当然、その文明と日本列島との接触があったはずであるのに、その関連の記述もない。まさに列島以外は空白の縄文時代なのである。驚くべきことである。

すなわち人類学も考古学も、縄文時代鎖国に近い状態であったと表明しているに等しい。

 

しかし旧石器時代、あれほど大陸から文化や人の流入があったこの日本列島が、そして高品質の黒曜石を求めてあれほど往来した大陸の人々が、急に、それも10,000年(上のグラフのように縄文時代というのは本当に長い)にも亘って鎖国状態に陥り、往来が途絶したなど、信じられるだろうか。

 

この事実は、縄文時代が決して鎖国状態などではなく、活発な国際的な文化交流があり、国内においても、東と西の大きな文化差を乗り越えた、人および情報の交換があっていたことの証左であろう。

 

縄文人が実は行動的で、美に対する情念が激しく、先祖からの繋がりを大切にする、新しい文化にも閉鎖的ではない、そうした人々であったことは証明できたのではなかろうか。

 

縄文の国際都市 三内丸山

 

三内丸山は自ら数百人規模の人口を擁する大都市であり、且つ周辺に16以上の衛星都市を抱える大都市圏であった。おそらく列島内はもちろん、大陸、沿海州・アムール地方、更には南西諸島まで名の知れた拠点都市であったに違いない。

したがって、ここには、あらゆる物資が集積し、いろいろな人々が集う交易センターすなわち国際都市であった可能性もある