みぎに つきすすむ 。右翼の経典 右突経( みぎに・右突き)

●右翼民族主義の整合性 一貫性 因果性を揃え右翼を貫く●民族の独立生存を最上位にし全異民族の侵蝕阻止、侵入異民族排斥●帰化侵入を行う日本国籍異民族排斥●国際世界市民主義の左翼・保守 国家主義 人種差別主義 伝統主義 皇室中心主義 皇道主義 国粋主義 平和主義を打倒●親米親朝鮮シナ親白人親黒人等異民族に親しむ 受け入れる左翼を粛清

【 五戦1603  】

■非軍事的侵入 平和的入植 平和的領域奪取 軍事力を使わなくても良い

 

 

▲皇室を敬い、天皇陛下万歳と心にも無いことを言う。これが心からの言葉かは本人以外わからない。日本国籍異民族が多数になったら、民主的に皇室を否定。あるいは日本国籍異民族が天皇に即位し、皇室の国際化を行う。現在しか脳に入らない、視野の狭い、記憶の浅い愚劣日本人なら、異民族が天皇に即位し、皇統・皇室が国際化しても天皇陛下万歳と言い、国際的な皇室を敬ってしまう。

 

 

▲国籍を変え、日本国籍になる。日本名を名乗るが自民族名を隠して使わない。国益を重視し、国家に忠誠、愛国を表現する。これが心からの言葉かは本人以外わからない。日本国籍で日本国民ではあるが、日本人と嘘をつく。

 

日本国籍になれば、参政でき、代議士を送り込める。投票するのも異民族、立候補するのも異民族。日本国は存在し、日本国籍の日本国民はいるが、日本人ではない異民族が住む。あるいは特定の日本国籍異民族が多数派になったら、民主的に自民族の国家に併合。

 

 

反日は排除するので、日本、日本の伝統・文化は素晴らしいとし、親日を偽装し、日本文化を採用する。しかし、のちに気が変わり、異民族の日本文化よりも、自民族の文化・伝統を好むようになる。愚かな日本人の国粋主義者・伝統主義者を親日で騙せるから、日本文化を褒め、採用し、親日を装い、日本人が少数民族になるまで待ち、少数民族になったら、親日を無視、否定する。

 

日本が好きな朝鮮人は日本に居て良いと愚かな分際で決めている者がいる。親日だろうと、日本を褒めても、異民族。受け入れさせるため、侵蝕する為で、心から親日、日本を褒めているかはわからない。

 

▲異民族が住む、異民族軍が侵入しても国体が護持できるとする。日本国籍異民族が多数派になったら、民主的に国体を破壊。あるいは無視する。あるいは国際化・世界市民化した歪んだ外道な国体を正統な国体と変換する。

 

異民族が侵入した場合、その影響を必ず受ける。異民族が増えない、拠点が広がらない、内部で力が増大しないと言えない。異民族の侵蝕が拡大するまではその国体が維持できるが、日本人が絶滅しては、日本人である皇族・天皇も絶滅することになる。異民族の侵入で国体は消滅するか、国際的皇室となる危険が非常に高い。異民族を排除し、民族の独立・生存・自律してこそ、一時的ではなく、永遠に国体は保たれる。民族主義としては国体よりも、民族の独立・生存・自律を上位に置く。

 

国柄と言うわけのわからないものもある。国柄を重視・尊重する者は異民族を排斥しようとしない。存在そのものが反日本的存在の“異民族”“異民族の軍”が日本領に侵入しても国柄が維持できるらしい。民族の独立・生存・自律を失っても構わないのが“国柄”のようだ。民族の独立、生存、自律が失われる原因となる異民族が侵入しても構わない左翼でしかない国体・国柄は、民族主義=右翼は否定し、撲滅する。

 

異民族の軍、異民族が侵蝕しても成り立つ国体・国柄は戦後成立したのだろう。親米・国際化・世界市民化に頭を蝕まれた結果の“左翼国体・国柄”。この左翼は完全反日左翼ではなく、保守主義・愛国国家主義国粋主義・皇室中心主義・伝統主義・人種差別主義の似非親日左翼。異民族を排除しないという点では民族の独立・生存を無視し、完全反日左翼と根は同じ。

 

 

▲劣等な異民族は排除するが、優秀な異民族を受け入れる人種差別主義、日本に貢献する異民族、利益をもたらす異民族は歓迎するので“優秀”になる、あるいは“優秀”ではないが“優秀”と思い込ませる。同じく日本に貢献する、利益をもたらすと印象を操作する。

 

優秀な異民族が増えれば、優秀な日本人は対抗、抵抗できるが、普通、愚劣な日本人は対抗できず、敗北する。日本人が育たないように仕向け、異民族が育つように仕向ければ良い。優秀な異民族であるから競争に勝利し、領域確保をしてしまう。競争に勝利する計画を冷徹に行うはず。

 

反日本的存在異民族であるから、日本に侵入していることは日本に貢献していない。日本人の民族領域に侵入せず、自民族の土地に住んでいることが“日本の独立、生存、自律に貢献”していることになる。日本に貢献すると偽装し、単純な日本人を騙し、日本を侵蝕する。

 

この利益はほぼ金。金を重視し、金を出す異民族を歓迎すれば、異民族・金の影響を大きく受け、政治、安全保障、民族の独立、生存、自律は無視されるか、わからなくなる。異民族と金に支配される。金を出す異民族が増えないと言えない。増えた異民族に金の力で従属、支配され日本領は利益をもたらす異民族に乗っ取られる。

 

結局、長い目で見れば、個人が一時的に儲け、利益を得たに過ぎないことになる。一部の人間が贅沢できるだけで終わり。侵蝕異民族が増え、政治力、経済力など影響力を手に入れれば、儲け、利益が回収されるかもしれない。誘導工作で自発的に金を出すように仕向ける。かっこいい、面白い、きれいで飾り、くだらないものに金を出させる工作。入れ墨、ピアス、染髪、人体加工、見世物のスポーツ、芸能、音楽など“意味のない、くだらないもの”に金を出しているのが多いのを踏まえれば、虚飾・虚構が有効なのが分かる。愚劣日本人から金を回収するために獲物・家畜の自由で追い込めばよい。

 

 

以上、平和的侵入。保守主義・愛国国家主義国粋主義・皇室中心主義・伝統主義・人種差別主義は国際主義世界市民主義を完全否定していないから、武力を使わず、殺されず、民族の独立・生存・自律を失う。

 

民族主義=右翼は国際化・世界市民化を阻止しない保守主義・愛国国家主義国粋主義・皇室中心主義・伝統主義・人種差別主義を徹底的に撲滅する。

 

 

■相撲  (2016年1月末に書く)

 

 

白人が多く入り込んでいたが、15年に相撲を見ると、白人が少なくなっている。“白人は日本人(黄色人)より力が強く、体格が良い”はずだが、日本人、モンゴル人(民族は違うが、ともに北方黄色人種)に倒され、弾き飛ばされ、土俵の外に追い出される。体格も大して変わらない。しかも日本人力士としても小さい小兵の日本人に“力が強く、体格が良い、運動能力が高い白人”が倒され、弾き飛ばされている。 “白人は力が強く、体格が良い、運動能力が高い”のにおかしいではないか。

 

白人は簡単に、手軽に横綱になれると思ったのかもしれない。しかし現実は日本人、モンゴル人とほとんど差はない、あるいはこの黄色人種より弱いことが明らかになる。それでうまくいかないから、減ったのだろう。妄想・主観に囚われている親白人で、反日人種差別主義者からすると、白人の横綱だらけにならないのはおかしいと思うはずだ。しかし、脳が侵蝕されているので、この異常に気付かないか、見て見ぬ振りをする。

 

相撲はラグビー、柔道、アメリカンフットボールより激しいぶつかり合いで、倒れにくいバランス能力が必要。日本人より“白人は力が強い、運動能力が高い”が妄想ではなく、事実であれば、その強い白人を倒したり、弾き飛ばしたり、横綱になるのを阻止した日本人は“力が強い、運動能力が高い”となるはず。しかし、日本人は強い、あるいは日本人が強いのではなく白人が弱い、とならない異常。体格も大して変わらないが、日本人を小さいとする異常。

 

白人だけでなく、南方黄色人種の中で特殊なポリネシア人も“体格が良い、力が強い、運動能力が高い”“世界最強”“フィジカル最強”“最強人種”妄想がある。そのポリネシア人に相撲で、しかも小兵日本人が勝つこともあった。日本国籍の日本侵蝕ポリネシア人は二人横綱になるが、現在ポリネシア人全滅。 “体格が良い、力が強い、運動能力が高い”“世界最強”“フィジカル最強”“最強人種”のポリネシア人を倒し、のさばるのを阻止した日本人を“最強”“力が強い”“運動能力が高い”“フィジカル最強”とならない異常。

 

過去ポリネシア人が多く来ていた。高見山がきっかけとなり、ハワイ人が“日本人の縄張りの一領域”大相撲に侵入。この侵入はハワイ人だけでなく、非ハワイ人の民族にまで拡大するきっかけとなる。小錦大関になり、曙、武蔵丸横綱になる。しかし、そのあとは続かず、ハワイ人は大相撲から全滅。

 

高見山の大相撲侵入の因果は深い。ハワイは戦前から日本人が多く移住した。それで相撲文化もハワイに広まる。戦後、日本は頻繁にハワイ巡業を行う。許しがたいことに、愚かなことに、滝沢寿雄らが高見山を元横綱前田山に紹介し、5年間衣食住を保障するとし、高見山を受け入れた。5年間の衣食住を異民族に与え、国際化・世界市民化・日本侵蝕に協力した。

 

高見山が現役だった時、今と違い、まだ国際主義脳侵蝕がなされていない時代だった。現在の左翼化したマスごみからは信じられないことに「相撲は国技だから外国人を受け入れるべきではない」とマスコミで発言される。ハワイ人・異民族の高見山の侵入に反感を抱く日本人が手紙を高見山に送ったという。戦後の国際主義脳侵蝕が不完全な、民族主義=右翼的な考えを抱く戦前世代が高見山に送った可能性がある。これは優劣を持ち出しているわけではないから、人種差別ではなく、自民族の縄張りを確保する正当な異民族排斥行動。

 

トンガのツポウ4世が相撲を気に入り、トンガ人が入門したが、ハワイ人と違い一人も成功できず、ツポウ4世の影響力が落ち、トンガ人力士は大相撲から消える。

 

日本ラグビーの異常な反日人種差別ファンは日本人よりトンガ人の方が肉体的に強い、優れると言っているが、ラグビーよりも激しいぶつかり合い、すぐに力の差が出やすい相撲で、トンガ人がのさばるのを日本人は阻止した。最強人種トンガ人(ポリネシア人)を成功させず、追い返した。反日人種差別からすればすごい、信じられないことではないか。

 

容易く、楽に稼げないことで、ポリネシア人が来なくなった。初めから入らせない、住まわせないが最も重要。入り込んでも、成功できなかったり、否定的な印象を抱かせれば、自発的に帰る、逃げる。

 

 

▲ついでにラグビーラグビー黄色人種ポリネシア人に日本人はかなわない、止められないという者がいる。それでなぜか非日本人ポリネシア人、白人などを日本ラグビー・日本代表に入れろと繋がる。しかし、現実は違う。日本人はポリネシア人を倒し、ポリネシアチームに勝つ。“ポリネシア人に日本人は歯が立たない” “ポリネシア人に日本人はかなわない、止められない” は妄想だった。相撲を見れば、それが妄想なのはわかっていたことだが、視野が狭く、判断力のない単純、愚劣なラグビーファンはこれに気付かない。

 

相撲以外でも、日本人以外を“体格が良く、力が強く、運動能力が高い”とする妄想をやめられない。これは強力な脳侵蝕。身長が同じ、あるいは1センチから10センチ高い、あるいは体重別で体重はほぼ同じでも、日本人以外を高い、大きい、力が強いを頻繁に言い、反対に日本人を小さい、低い、を頻繁に言い、強調する。差はほとんどなくても、脳内では日本人が小さく、みすぼらしく見え、非日本人は大きく、強く見えていると思われる。主観・妄想で現実が見えていない。

 

今までの栄養を考えない、ただ食べるだけの穀類と野菜の最悪食ではなく、栄養を考え、バランスの取れた食事をするようになれば、これから体格差は完全に消える。身長など数値が同じであるのに“白人などは体格が良い”を言っていたら、頭がおかしいと言える。しかし、妄想に支配されているから直せないと考えられる。客観的数値を無視し言い続けるならば、「嘘をつくのではない」 「頭がおかしいのか」など、徹底的に言うべき。

 

 

▲ぶつかり合いが激しく、倒れない力が必要な相撲はラグビーの倒す訓練として使える。力押しの単純相撲は訓練にならない。その訓練用の相撲は力押しの単純相撲ではない。力を使うと余計に疲れ、すぐに動きが鈍くなり合計80分戦い続けられない。だから、力はあまり使わない、技と判断力を使った押し出しなしの“技相撲”を行う。

 

本来の日本の戦い方は技と判断力重視だった。その技術を習得するのに時間が掛かり、記憶力、判断力が低い愚か者は取得できない。剣術、居合、やわら・柔術は戦場の戦闘技術で、重たい鎧を着て、重たい刀、槍を持ち、1対多、長時間戦い続けることを踏まえて、余計な力を使わないように改良、編成された。余計な力を使わない戦い方をしないと、重さと疲労で動きが鈍くなり、次に遭遇した弱い敵に容易く殺される。

 

技術と判断力重視の戦闘術は体格が悪いからではない。古代から鎌倉時代までは170㎝を超えている者が多くいたという。特に鎌倉武士は長身で、180㎝超えていたようだ。この時代白人は140~150センチ台。この時代は民族に関係なく、人類全体の平均身長が小さく、中世の180㎝は今の190㎝程になる。

 

 

■バカ男 バカ女

 

 

以前は男が貧乏だろうと、女は気にせず結婚している。貧乏同士結婚している。女性優位、商業主義的男女関係に覆されている現在、女はケチだと持てない、年収が低いと結婚できない、金持ちだと良い男と結婚できると設定されない。しかし、男はケチだともてない、年収が低いと結婚できない、金持ちだと良い女と結婚できると前提が示されず、設定された。常識が覆され、非常識が“常識”となる。

 

男が金銭的に不当に損をし、女が男の損失で金銭的利益を不当に得たり、女が意味もなく優遇・優先される男差別をする“女尊男卑”。金のやり取り、多寡による商業主義的人間関係、男女関係は現在独特の異常な価値観。この異常な価値観によって利益を得るのは女・商売人・国際資本主義と、大量の金しかない不細工、魅力がない、性格が悪い金持ちの男。この利益を得る者たちによって仕込まれ、追い込まれ、植え付けられたと考えられる。

 

思考力のない愚かな脳が侵蝕された男は商業主義的“女尊男卑”を疑わず受け入れ、この異常な“女尊男卑”を批判する男を“批判せず、罵る、貶める。内容のない短文で否定する。

 

男尊女卑では男が女に金を出せとならなかった。商業主義的“男尊女卑”ではない。今の女は商売人に脳を侵蝕され、くだらない、意味のない金のかかることを好む。精神の独立と自律を奪われた女は、なくても変わらないブランド品、“国内”旅行ではなく、行かなくても良い“海外”旅行を好む。あまり味は変わらないが、高く、評判の良いものを好む。高く設定するために評判をよくする戦術がある。飾り付けた印象で金を出させる。

 

分けのわからない女子会なるくだらない事を行う。こんなものやらなくてよいが、店でやれば金はかかる。自宅でやっても、店より少なくなるだけで金は出る。男は目的なく群れることを好まないのが、女よりも多いから、男子会は出てこなかった。

 

商業主義的“女尊男卑”に設定すれば、バカ男がバカ女に金を使うのが当たり前になるから、商売人がバカ女を脳侵蝕すれば、何も疑わず、喜んで、バカ女にバカ男は金を出す。バカ女を掌の上で踊らせれば、バカ男も掌の上で踊らせ、バカ男はくだらない事に金を使い、商売人と、バカ女が儲かる。脳が蝕まれているバカ男は損をした事、不満・怒りは抱かず、気にしない。場合によっては金を出したことを喜ぶ。カルト信者的である。

 

男が団結し、正しい対応の仕方を揃え、バカ女、商売人、バカ女を甘やかすバカ男を徹底的に批判し、叩きのめすしかない

 

 

■白人男と接触した黒人女粛清される

 

 

南アフリカの黒人女が白人の男と関係を持ったとし、黒人男に虐殺される。時期など詳しいことはわからず、嘘かもしれない。黒人男としては、侵略者白人に自発的にやられた屑女を侵蝕行為を行ったとみなし、許せないだろう。

 

黒人が死に絶えようとかまわないが、南アフリカに白人が生きているのは異常。ここは黒人の土地で、白人は一匹残らず撲滅されるべき。それか、国際的・世界市民的・移民国家となったオランダ、イングランドに帰るべきだろう。

 

南アフリカに最近はシナ人が侵入しているようだ。ここにシナ人の拠点が築かれると、シナ人の本国が強化される恐れあり。現地黒人に、シナ人排斥を合理的に説明し直接・間接的に協力すべき。シナの脅威があると言っているなら、これもやるべきだろう。

 

▲アメリカのシナ人メディア 世界日報2011年8月21日によると、アフリカ諸国に住むシナ人の数はすでに100万人を超えているという。シナの企業がアフリカで仕事を請け負うと、シナ人を送り込む。シナ人が古代から得意とする非軍事的侵蝕。軍事力を使わず、異民族の土地に入り込み、働き、住み、増える。現地民族は少数民族になる。そして生活し辛い山などに移動する。なぜか多数となったシナ人の領域と変更される。

 

■自由を放棄し、人を辞めた猿人間 管理人に与えられた家畜・獲物の自由を好む

 

 

2015年のある日、東京。秋葉原、新宿、上野などで電車に乗ったり、外を歩いていると、男のピアスを一人見る。その後、この屑ピアスを頻繁に見かける、増殖している。白人の真似をし、茶色の毛が良いということだったが、茶以外の毛に染めている屑を一人見ると、その後、それと同じ色の屑毛染めを頻繁に見かける、増殖している。戦後日本の歪みがさらに進行した80年代後半から、茶色の毛が良いと植えつけられ、“異常なほど”増殖していたが、15年のこの二つの現象、場所にもよるが、15年以前はあまり見ない、少なかった。

 

この増殖状態を踏まえるとファッション雑誌、芸能・音楽・スポーツの虚飾業者、マスごみが仕組み、誘導し、マインドコンロトールで、自発的に動くように自由を奪ったのだろうと考える。ファッション雑誌、芸能・音楽・スポーツの虚飾業者、マスごみは一人一人の人間、民族の自由と民主主義を奪い、マインドコントロールをする最悪の集団。神を持ち出さないだけで、カルト教団とほぼ同じように頭を異常に書き換える。

 

白人、特にアングロサクソンの音楽芸能を好む、脳が蝕まれているのは白人憧れ、真似をし、あやかる、受け入れる。黒人音楽が好きな場合は黒人に憧れ、真似、あやかる、受け入れる。南鮮流を好む場合は真似をしていないようだが、南鮮に憧れ、美化、正当化、受け入れを執拗に、異常なほど行う。精神の独立、自律、自由を奪われたカルト信者と同類の狂った人間を狂気、異常と見なし、我らの日本、我々の生きる世を狂わせ、歪める敵と怒り、憎悪しない現在の異常な日本人。

 

精神の独立、自律、自由を否定、無視し、奪われた、この異常者でも自由とするのが、似非自由自由主義。他者・異民族の真似して、自己が歪んでも“自由”とする異常な自由主義では自己を保てない者が増殖、のさばる。外部の誘導、意図、影響、仕込みを遮断、排除した状態を自己が保たれているとする。

 

考えず、真似して、あやかり、受け入れるように仕組まれ、誘導され、独善的に自ら決めれば“自由”。自由主義の“自由”は自発的に動くように所有者・狩人に仕組まれ、誘導され、利用され、殺され、食べられる“獲物・家畜の自由”で、似非自由

 

“自由”の手続きは

≫1 他を突き放し、他から自らを分離する。(独立状態) ≫2 他の影響を遮断、排除(独立状態) ≫3 自ら論理を揃え、考える ≫4 自ら決める。

 

1から4まで、他を親しまず、憧れず、美化せず、正当化せず、あやからず、真似せず、好まない心理が貫かれている。論理的に考えるので、少し時間がかかる。難しいことは長時間考えなければならない。それで軽弾みが消える。論理的な思考力が低く、1~3が抜け、4に飛んでしまうのが多い。1~4まで行うが、事実を無視し、妄想に基づいている場合もある。考えられない者は他に仕込まれた独善・独断で答えだけの“獲物・家畜の自由”となる。

 

自由な人は他(他者・他民族)のくだらない、意味のない、余計な影響を受け、自己を歪められるのを嫌い、自ら考え、律したいとする。冷静・冷徹・冷淡・慎重で、保守主義ではなく、保守的になる。評判の良いもの、人気のあるものごと、新しいもの、流行を外部・意図的に操作されているのではないかと考え、警戒する。異民族、左翼、商売人、虚飾業者、マスごみなど、一人一人と自民族の独立、自律、自由を奪う勢力の手のひらで踊らされ、自己と自民族が“異常”“不当”に歪められないか危惧する。

 

他者だけでなく、自分の個人的事情からも解放されて、自由である。自分の好き嫌い、人間関係、立場、主観、境遇、感情が意図的に異民族、左翼、マスごみ、虚飾業者に仕組まれ、個人的事情は他律で、自由を奪われている場合がある。それゆえ、他だけでなく、自分の個人的事情を無視し、異民族の意図、操作、影響、他律を遮断、排除し、政治的に考え、決める必要がある。

 

自分の好き嫌い、妄想、人間関係、主観、感情、境遇、立場を権力で前面に押し出し、自分の個人的事情で政治、軍事、経済を歪め、公私混同をし“個を保つ”のが専制君主・独裁者。“個を保つ”専制君主を異民族・左翼が脳侵蝕すれば、それからは手軽に敵対民族を弱体化できるので、専制・独裁は危険で、有害。現在、自由主義で権力を持たない、“個を保つ”小さい専制君主の独善者、独断者がのさばる。

 

 

やくざの入れ墨は白人の真似でないが、反日の一種。日本人が成り立たせている日本社会を嫌い、反発し、多数派の日本人、正統派の日本人、普通の日本人と違いをつける為の人体加工。自らが生きる社会(“日本社会”で構成民族は“日本人”)を嫌悪し、反発し、否定。所属する反社会的集団への帰属意識と忠誠を示す。入れ墨を他者に見せ、周囲を威圧する。消えない入れ墨を入れ、反社会的人間としての覚悟を示す。これには政治的に正当性はない。

 

すべての成員が政治に参加するのが前提の民主主義では、政治的に正当性がないことは完全に否定、排除されなければならない。自他の個人的事情を無視し、解き放たれた“自由な人”だから、選挙で投票すること、議会で議論すること、多数決をすることが有効になる。入れ墨、ピアス、毛染めなど白人の真似の人体加工、黒人の真似、南鮮の美化、受け入れ、異常な服装・行動・価値観は主観、妄想、感情、好き嫌いなど自他の個人的事情に塗れ、囚われた、自由を放棄、失ったものであることが表示されている。

 

この自由がいらない、失ったものは“正しい・論理的な”意見を揃えられず、異常に気付き、批判できない。人・世・法の歪みを排除できない。“個を保つ”ので、政治的合理性は無視、軽視する。小さい専制君主が投票し、政治に参加し、議論をせず、意見を揃えず、自他の個人的事情を前面に押し出し、私利私欲で動く。“獲物・家畜の自由”が自由とずれ、民主主義は機能しない。

 

民主主義、自由を否定する“自由主義”のマスごみ・政治家は“日本人の自由”を奪い、“獲物・家畜の自由”に仕向ける。“日本人の自由”が奪われ、日本の民主主義が消滅するにもかかわらず、自由を失い、民主主義を否定する獲物・家畜のごとき者、スポーツ・芸能関係者とそれを好む者、流行に乗る者、白人などの異民族の真似、人体加工をする者をマスごみ・政治家は貶め、否定、批判、敵視、嫌悪、叩かないどころか、美化したり、正当化したり、受け入れ、のさばらせる。意味のない・価値のない、空虚・虚飾に手軽に金を出し、上辺を飾れば、中身がなかろうと、考えずに独善的に決め、掌の上で踊らせ易いからだろう。マスごみ・政治家は自由、民主主義はいらない、無視するということ。

 

“日本人の自由”は異民族・左翼の影響を遮断、排除することで生まれる。マスごみと、親米保守自民党などのすべての反民族主義政党が“日本人の自由”無視し、否定し、守らず、自由を捨てた日本人・日本社会は議会制民主主義を排除した、滅ぼした。自由を失った政治屋に、自由を失った者が投票し、選挙をやっているだけである。

 

選挙は他・他民族に歪められていない自己を保った“自由”を維持、全うしている者のみで行わなければ、選挙の形をとる茶番劇で、政治屋劇・選挙劇。テレビ好きに選挙時の報道番組を面白いと好んで見る者がいる。政治に“面白い”を持ち出す。真剣な政治・選挙がショーになっている。