・1 敵が明らかに弱い
・2 強くても武器弾薬、物資を失い弱体化している
・3 物資を保持し、弱体化していない強い相手には、一緒に群れて戦うオトモダチがいる(そのオトモダチと同じぐらいの強さであり、あまり弱すぎると戦わない。事例:南ヴェトナム軍)
1~3を満たしていれば、アメリカは前に出て戦う。1~3を満たしていなければ、中途半端に停戦か、完全に敗北する前に撤退する。良く訓練され、高性能の兵器を装備し、大量の物資を揃え、民族・国家で団結した敵に勝ったことがない“最強アメリカ軍”。物資が欠乏し、弱体化した、勝って当たり前の敵にしか勝ったことしかないアメリカ軍。アメリカ軍最強は嘘であり、妄想である。
相手が強かろうと、自らは物資を失っていようと、戦う必要があれば、ボロボロになりながら、戦う“戦前までの日本人”(現在は事大朝鮮人化して弱体化)、ドイツ人、ロシア人、パシュトゥーン人(タリバン)と違い、アメリカは死者が大量に出そうだと、避ける、逃げる。チベットの人権、大量破壊兵器を配備でもなんでもいいから、口実をつけて、シナとアメリカは正面衝突をすればいい。早くしないと、シナは技術力を備え、アジア地域に移民、永住、帰化をし、非軍事的侵蝕で拠点を築き、アメリカにも移民をし、強化される。一刻も早くシナとアメリカは戦争をすべき。
シナは国共内戦で闘争力が充実した状態ではない。しかし、ソ連からの援助があったから、戦争末期の日本・ドイツほど弱体化していない。ソビエトもドイツとの戦いで消耗し、闘争力は低下し、充実していない。ユーラシアから離れていたから、アメリカはほぼ無傷で100%の力を出せる状況だった。ソビエト・シナよりもアメリカは領域内が荒らされていないので“闘争力”は高い、あるいは、充実していた。この状態で朝鮮戦争に突入する。
1950 9/15 アメリカ軍仁川上陸
9/26 アメリカ軍ソウル奪回
10/25 人民解放軍・シナ参戦 ”シナに押し戻された”
12/05 シナ軍平壌奪回 ”シナに押し戻された”
1951 01/04 シナ軍ソウル突入、3/07占領 ”シナに押し戻された”
3/17 アメリカ軍ソウル再奪回
6/06 戦線が38度線で膠着 ≪アメリカはシナを潰せず、追い払えず≫
7/10 休戦開始 ≪1年たたずに互いに終わりにしようと始める≫
毛沢東などは参戦を主張した。林彪などが反対したのは、『シナの兵器では、ソ連が援助しても、アメリカの近代化された武器には勝てない』 『国共内戦で資金が欠乏している』 『新政権の基盤も確立されていないため、幹部、一般兵士たちは戦争回避を望んでいる』 『 中華人民共和国建国後も、大陸反攻を唱える蒋介石の支配下に置かれた台湾の解放や、チベットの解放など、国内問題の解決を優先すべき』との理由から。
この反対理由はすべて関係がなかった。正当性はなかった。戦争・戦い・勝負はやってみないとわからないものである。アメリカの“近代化された武器”を敵・アメリカが装備していても、全滅せず、引き分けに持ち込み、1年もたたず停戦。アメリカと同じ質の兵器を自らが装備したら、引き分けどころかアメリカ軍を全滅させる、大量殺戮することが可能か。あるいは、ヴェトナム戦争のように全滅する前に早くもアメリカは逃げる。
参戦に消極的だったシナは、開戦前の北鮮との約束に従いシナ軍を義勇兵として派遣を決定。ソ連から支給された最新の武器、第二次世界大戦時にソ連やアメリカなどから支給された武器、日本軍の武器を使用し、最前線だけで20万人規模、後方待機も含めると100万人規模の大軍だった。
周恩来はソ連軍の参戦を求めたが、スターリンに「アメリカ軍との直接対決は避ける」と呆気なく断られた。彭徳懐はソ連なしでアメリカ軍との戦争を恐れた。ソ連(大勢力)なしでも、物資があれば、シナごときでも良く戦えた。彭徳懐の恐れはアメリカは強いとの妄想のイメージであり、“事実”ではなく間違いだった。物資のない弱体化した敵にのみ“最強”アメリカ軍と言うことであり、ろくに食べていない、動けない敵なのだから勝って当たり前だ。
シナ軍はアメリカ軍に攻撃をかけ、アメリカ軍やイギリス軍を撃破し南下した。アメリカ軍はシナ軍の早期参戦を予想していなかった。補給線が延び、武器弾薬が不足していた。シナ軍ごときに撃破され、殺され、傷つけられ、追い払われるアメリカ軍・イギリス軍の“白人軍”。物資がなければろくに戦えず、敗北。
アメリカ軍も鴨緑江付近から、シナ軍に対する攻撃を開始。シナ軍は山間部を移動し、神出鬼没な攻撃と人海戦術でアメリカ軍を圧倒、その山間部を進撃していた南鮮第二軍が壊滅すると、黄海側、日本海側を進むアメリカ軍も包囲され、平壌を放棄し38度線近くまで潰走した。マッカーサーなどのアメリカ軍上層部は東京にいて、最前線への視察に出なかった。アメリカ軍は“占領した平壌”を放棄した。他の占領した地域からも壊走。
シナ軍は蒋介石との戦いで積んだ経験と、ソ連から支給された最新兵器や日本軍の兵器を使い、初めは優勢だったが、度重なる戦闘で高い経験を持つ古参兵の多くが戦死し、補給線が延び、攻撃が鈍り始めた。
アメリカやイギリス製の最新兵器の調達が進んだ南鮮支援側は、態勢を立て直し、反撃をし、ソウルを再奪回したが、戦況は38度線付近で膠着状態となる。アメリカなど南鮮支援側は最新の兵器でシナと対決したが、シナを全滅できない。アメリカは平壌を再奪回できない。
満州国建国後に日本により建設された満州(中国東北部ではない)の大工業地帯は、第二次世界大戦と国共内戦終結後もそのまま使われていた。その満洲の工業設備やインフラストラクチャー施設を、B-29と最新のB-50によって爆撃する事や、シナ軍の物資補給を絶つために放射性物質を散布する事をマッカーサーはトルーマンに進言した。
“最強アメリカ軍伝説”を生み出す原因となったアメリカお得意の敵の物資を生産させない、補給を断つための爆撃。シナ・北鮮にとっての満州は、アメリカ・南鮮にとっては日本。シナは親米の拠点・南鮮支援の拠点、日本を攻撃する海軍、空軍は存在しないので、シナは陸軍中心の真っ向勝負しか選択はない。アメリカは真っ向勝負をしても、シナごときに勝てない、潰せないので、物資を失わせ、“弱体化”させ、勝って当たり前の弱い敵にしようとした。しかし、できなかった。
マッカーサーの影響で、戦闘がシナの国内にまで拡大し、ソ連を刺激し、第三次世界大戦に発展するのを恐れたトルーマンは、マッカーサーをすべての軍の地位から解任した。狭い半島でも、敵・シナ・ソビエトの生産施設を爆撃破壊できなかったことで、半島全域を占領できなかった。半島よりも広大なシナ占領域で戦争しても、勝てない。ソ連まで本格的に参戦したら、アメリカに勝ち目はない。アラスカからソ連軍上陸、アメリカ本土にソ連軍進撃もあり得る。日本に真っ向勝負で勝ったとトルーマンなどアメリカは考えていなかったのかもしれない。
アメリカ空軍は80万回以上、海軍航空隊は25万回以上の爆撃を行った。その85パーセントは民間施設。56万4436トンの爆弾と3万2357トンのナパーム弾が投下され、爆弾の総重量は60万トン以上、第二次世界大戦で日本に投下された16万トンの3.7倍。
シナ、ソビエトの物資生産施設ではなく、85パーセントは朝鮮の民間施設を爆撃している。シナも南鮮支援の拠点、親米日本を爆撃していないから、シナ・アメリカどちらも同じ条件だ。日本よりも3.7倍も投下しているが、シナを潰せない。爆撃なしの真っ向勝負でアメリカは勝てないのだろう。航空機がなかった時代、刀槍での戦いの時代などでは、“最強アメリカ軍”妄想は生まれなかっただろう。親米はほぼ単純で洞察力がない。だから、アメリカの戦いを見て、“最強アメリカ軍”が嘘と気づかない。強力な脳侵蝕をされているというのもある。