みぎに つきすすむ 。右翼の経典 右突経( みぎに・右突き)

●右翼民族主義の整合性 一貫性 因果性を揃え右翼を貫く●民族の独立生存を最上位にし全異民族の侵蝕阻止、侵入異民族排斥●帰化侵入を行う日本国籍異民族排斥●国際世界市民主義の左翼・保守 国家主義 人種差別主義 伝統主義 皇室中心主義 皇道主義 国粋主義 平和主義を打倒●親米親朝鮮シナ親白人親黒人等異民族に親しむ 受け入れる左翼を粛清

【 不変の民族と変えられるいい加減な国民 】

◆◆  認識力、判断力、洞察力のない、イメージ、虚飾、感情感覚、気分に影響される、くだらない戦後日本人好みの存在“国民”  ◆◆

 

国民は国籍、国家に帰属することで生まれる。国家の文化、国家への帰属意識、国家への忠誠心で、国籍を与え、国民にする精神主義的なこと、空虚なことを前提にする場合もある。国家への忠誠心などは虚飾でしかなく、非軍事的侵蝕攻撃をするため、自分の都合を重視する嘘つきならば、いくらでも、上辺を飾れる。存在しない忠誠心、帰属意識を演出し、洞察力のないくだらない者を騙す。

 

状況、環境、気分、場当たり的な人間関係に影響される国民は、一貫性のない、いい加減な存在である。民族主義的に国民、国家は劣位、下位、無視、蔑ろにされる。

異民族の国家に併合されることもある。その場合、憎悪すべき異民族の国家が自分の国となる。憎悪すべき異民族が同じ国民となる。しかし、国民は同じでも、民族は違う。

 

 

◆◆ 満州人、チベット人ウイグル人 ◆◆

 

中華人民共和国の国民であるチベット人ウイグル人満州人などの非シナ人は、シナ人と同じ国民ではあるが、民族は違いシナ人・漢人ではない。

民族を無視し、国籍、国家、国民を重視した場合、移民国家的表現を当て嵌めるならば、チベット高原チベット人チベット系“シナ人”、ウイグル人ウイグル系“シナ人”である。現在チベット高原チベット人は存在しない。シナ人(民族シナ人)がシナ人(民族チベット人)の住んでいる、シナ人の領土(中華人民共和国の領土)チベット高原に住み着き、先に住んでいたシナ人(民族チベット人)を殺戮しているということになる。シナ人がシナ人を殺して、移住しているのだから、国家主義世界市民主義的には問題がないことになる。民族を無視し、国家主義の場合、一度異民族の国家に併合されれば終わり。

 

しかし、民族主義的には問題である。シナの国籍・国民でもチベット人であり、シナ人ではない。国家、国民、国籍を無視した場合、チベット人チベット高原にシナ人が侵入し、チベット人を殺し、併合し、住み着いたという事実が成立する。民族を無視し、国民を重視している、朝鮮系日本人、愛国・国益と言っている者たちは“チベット問題はない” “チベット高原チベット人はいない”と言い張り、無視しなければ、不整合性である。シナ人(民族シナ人)がシナ人(民族チベット人)を殺しているのだからいいじゃないかと言うべき。

 

 

ついでに、シナ人が移住することで満州人の満州は信じられないことに“中国東北部”となる。満州と言うべきだが、最悪戦後日本人もシナ人の影響を受け、『中国東北部』と言う。すぐ他(他民族)に合わせる。満州人の満州をシナ人が移住攻撃・永住攻撃・帰化攻撃で乗っ取って良いならば、日本人の満州でも、問題はない。100満州人の土地でないなら、日本人が住む満州であるべき。100満州人の満州か、100%日本人が住む満州にすべき。シナ人の拠点の満州は絶対に阻止しなければならない。満州には紀元前200年~紀元前4万年には日本人が住んでいたのだろう。

 

 

◆◆ ドイツ・オーストリア ◆◆

 

 ドイツ人のオーストリア帝国はドイツ本国とは分離し、ドイツ人のハプスブルクが君主の国。チェコ人、スロバク人、ポーランド人、ハンガリー人などが構成員の多民族国家。特に上流階層の非ドイツ人は上位者、支配者へ憧れもあったのだろう、ドイツ文化、ドイツ語を使う。民族文化は農民、下層民が保つ、使う。

ドイツ人が中心ではあったが、ハンガリー人などの民族意識の高まりにより、ドイツ人中心を改めなければ、崩壊することになる。ハプスブルクは非ドイツ人に少し妥協し、帝国構成非ドイツ人を懐柔しようとする。

 

第一次世界大戦の敗北で非ドイツ人の支配者、主人のハプスブルク=ドイツ人は弱いということで、弱い異民族に従属、支配されるのを非ドイツ人は不快感を抱くようになる。そして、非ドイツ人は分離、独立、国家と国民を形成。大帝国オーストリアは帝国臣民の非ドイツ人の分離で小国になった。

 

しかし、この非ドイツ人国家の構成員国民に異民族ドイツ人が存在してしまう。チェコには300万人ほど外国籍ドイツ人が住む。チェコ以外にも外国籍ドイツ人が住む。民族領域と国家領域が完全に一致していない。

 

反ドイツ、非ドイツ、異民族優遇の狂ったヴァイマル=ドイツで人種差別ではなく、民族主義が高まる。この正当右翼のドイツ人にとっては外国籍ドイツ人が住む土地も、ドイツ人の土地と考える。国家領域よりも民族領域を重視し、国家領域を民族領域に合わせる。外国だが、同族のヒトラーの祖国オーストリア併合。外国籍ドイツ人が住むチェコのズデーテン併合。

 

第二次大戦後ドイツ、オーストリア、スイス以外の中部ヨーロッパのチェコなどのドイツ人は、ドイツの国家領域に移動・追放。チェコスロヴァキア国籍などの外国籍ドイツ人の存在を許さない。これは民族主義的。同族のオーストリアと合併するのは条約で禁止される。

ネオナチスは現在のドイツ人の民族領域ではないが、過去の民族領域を取り戻し、過去の民族領域を国家領域に合わせようとしている。

 

 

■ ネオナチスの奪われた、失った民族領域を取り戻すというのは民族主義ならば当然

 

これに関連し、日本のことを少し書く。

 

奇形日本人・自民党は北方4島だけを取り戻そうとする。日本の右翼=民族主義としては北方4島だけではなく、千島列島全域と、次の世代のため、安全保障を踏まえ、今度は反対に南だけではなく、北樺太まで日本領にする。千島列島と樺太には100大和民族が住む。

ソビエト占領時から数年後、この地域の日本人(国籍は日本国籍か、外国籍かわからない)はソビエトにより追い出される。ほとんどは北海道に移動。この地域に外国籍日本人が住んでいると、国籍、国家、国民を超える民族主義により、分離、独立、日本と合併となると危惧したのだろう。 

 

サンデースクランブルだったと思う。松原仁がこの地域のロシア人などの異民族に日本国籍を与えると言っていた。しかし、国籍を変えるとの、上辺を変える意味のないことを右翼は許さないので、日本国籍異民族にするという選択は絶対にありえない。国家を超える民族主義により、日本国民ロシア人が外国の自民族の国家と合併を求める危険がある。ウクライナ東部、クリミアのように。この地域に非日本人は一人も住まわせない。追放、強制送還、侵略者として処刑が選択される。 

 

 

◆◆ 古代アテネ ◆◆

 

古代ギリシャアテネでは市民権は現在と違い、民族主義的で男系男子や、父母両系。同じ民族でも異部族・他ポリスだと市民権を得られない。当然、商業などで住んでいる異民族は、どんなことあろうと市民権を得られない。厳密に区別した。ヘレニズム時代のコスモポリタニズムで完全崩壊。

 

 

◆◆ ローマとゲルマン ◆◆

 

ローマ人はゲルマン人を軍事、行政、農耕などに使う。市民権を得るローマ市民ゲルマン人もいて、ローマ帝国の構成員。この市民権は今でいうと国籍と同じようなもの。帝国末期、ゲルマン人に憧れたローマ人が増え、長髪にしたりして、ゲルマン人の真似をした。

ローマ社会はゲルマン人を受け入れることで、ゲルマン人がいないとローマ社会が成り立たなくなった。ローマ社会でゲルマン人が育ち、養われ、ローマ人は育たず、養われない、ゲルマン人強化、ローマ人弱体化、劣化となる。

 

ローマ市民だろうと、ゲルマン人ゲルマン人で、ローマ人にとって“異民族”と、あるときローマ人は気づく。ゲルマン人排斥をすると、劣化したローマ人ではローマ社会が成り立たなくなった。汚い浮浪者のようなゲルマン人にローマは滅ぼされる。ローマ人はゲルマン人を受け入れ、使うことで、頼ることに変化し、依存に変化し、ローマ人は弱くなったのである。

 

ローマは養子がよくある。ローマ人の養子をとれなくなると、異民族を使おうとなるのではないか。養子は否定する。自ら産み育てよと。こどもが作れないならば、あきらめるべき。人口減少もやむを得ない。

 

 

◆◆ 大日本帝国 ◆◆

 

大日本帝国は一所懸命、下剋上、攘夷を前提に成立した。狂った異常な開国=インターナショナル化ではない。狂った否定すべき開国=インターナショナル化は1945815日に始まる。幕末から昭和初期まで基本は民族主義なのである。しかし、ずれる。異民族アイヌ朝鮮人、台湾シナ人、台湾オーストロネシア諸族に日本国籍を与え、大日本帝国の臣民にする間違いをした。朝鮮人、台湾諸族などがアメリカ、ロシア、イギリスと繋がり、拠点を築かせ、招き入れる可能性を考えて、苛烈な弾圧、抑圧ではなく、懐柔を選択したのだろう。このアジア人どもは判断力がないから、白人を上位者、正義にする可能性はある。現在の敵と対立するために、敵に見えない敵に変化する敵と繋がり、招き入れることがある。

 

現在の日本と違い、戦前は民族と国民を区別していた。アメリカなどの外国籍日本人も、外国籍なだけの同族とみなす。日本国籍朝鮮人を狂った“朝鮮系日本人”にせず、臣民の朝鮮人とした。台湾でも高砂族高砂族とし、台湾シナ人はシナ人と、同じ国民でも、異民族と認識していた。自他を融合しなかった。

 

大東亜戦争時に朝鮮人に神社に集団参拝させたのも、異民族の日本国民朝鮮人と認識していたからではないか。参拝させる小細工をしても、民族意識が希薄になるとは思えず、意味はない。大東亜戦争に協力させようとの小細工。本来の神社は祖先=自分=子孫を頭の中でつなげる場だが、今は違う。反日・非日左翼、異民族でも神社に行き、参拝している。

 

戦後日本はアメリカと朝鮮の侵入と、親米保守、街宣似非ウヨ、ただの反日により、民族と国民の区別がつかなくなる。反民族主義・コスモポリタニズム・移民国家の価値観、表現“~系日本人”を採用。いくらでも変えられるいい加減な国民を重視し、日本国民朝鮮人を“朝鮮系日本人”と、狂ったことに日本人にしてしまう。

 

朝鮮系日本人と異常な表現し、これを敵視している似非ウヨがいる。“日本人”であるから、敵視しなくていいはずだが、“朝鮮系日本人”表現し、敵視している。これは矛盾している。判断力がないから、“朝鮮系日本人”はおかしい、使ってはいけない、“日本国籍(民)朝鮮人”が正しいとわからない。民族と国民を厳密に区別つけず、国民を重視し、民族を理解できなくし、いい加減な国民を意識させられている。移民国家であれば、日本“国民”には、なれるが、日本“人”には絶対になれない。こんなことは少し考えればわかる。